ておいでになったが、女三《にょさん》の宮《みや》の御健康がすぐれないためにまた延びた。衛門督《えもんのかみ》の夫人になっておいでになる宮はその月に参入された。舅《しゅうと》の太政大臣が力を入れて豪奢《ごうしゃ》な賀宴がささげられたのである。病気で引きこもっていた衛門督もその時はじめて外出をしたのであった。しかもそのあとはまた以前にかえって、病床に親しむ督であった。女三の宮も御|煩悶《はんもん》ばかりをあそばされるせいか、月が重なるにつれてますますお身体《からだ》がお苦しいふうに見えた。院は恨めしいお気持ちはあっても、可憐《かれん》な姿をして病んでおいでになる宮を御覧になっては、どうなるのであろうと不安を覚えてお歎《なげ》きになることが多かった。祈祷《きとう》をおさせになることで御多忙でもあった。法皇も宮の御妊娠のことをお聞きになって、かわいく想像をあそばされ、逢《あ》いたく思召《おぼしめ》された。長く六条院は二条の院のほうに別れておいでになって、お訪《たず》ねになることもまれまれであると申し上げた人も以前あったことによって、御妊娠がただ事の結果でなくはないのであるまいかとふとこんなことを思召すとお胸が鳴るのでもあった。人生のことが今さら皆お恨めしくて、紫夫人の病気のころは院があちらにばかり行っておいでになったのを、もっともなこととはいえ、思いやりのないこととして聞いておいでになったが、夫人の病後も院の御訪問はまれになったというのは、その間に不祥なことが起こったのではあるまいか。宮が自発的に堕落の傾向をおとりになったのではなく、軽薄な女房の仕業《しわざ》などで不快な事件があったのではなかろうか、宮廷における男女の間は清潔な交際で終始しなければならないものであるのに、その中にさえ醜聞を作る者があるのであるからと、こんなことまでも御想像あそばされるのは、いっさいをお捨てになった御心境にもなお御子をお思いになる愛情だけは影を残しているからである。法皇が愛のこもったお手紙を宮へお書きになったのを、六条院も来ておいでになる時で拝見されたのであった。
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用事もないものですから無沙汰《ぶさた》をしているうちに月日がたつということもこの世の悲しみです。あなたが普通でない身体《からだ》になって健康もそこねているということをくわしく聞きましたが、今はどうですか。世の
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