。多くの女性を見てきているが、高い見識をお持ちになって、しかもなつかしい匂《にお》いの備わっているような点であの方に及ぶ人はなかった。女を教育するのはむずかしいものですよ。夫婦になる宿命というものは、目に見えないもので、親の力でどうしようもないものだから、結婚するまでの女の子の教育に親は十分力を尽くすべきだと思う。私は娘を一人しか持たなくてその責任の少ないのがうれしい。まだ若くて人生のよくわからなかったころは、子の少ないことが寂しく思われもしたものですがね。まあ孫の内親王をよくお育てしておあげなさい。女御《にょご》はまだ大人になりきらないで宮廷へはいってしまったのだから、すべてがいまだに不完全なものだろうと思われる。姫宮の教育は最高の女性を作り上げる覚悟で、微瑕《びか》もない方にして、一生を御独身でお暮らしになってもあぶなげのない素養をつけたいものですね。結婚をすることになっている普通の家の娘はまた良人《おっと》さえりっぱであれば、それに助けられてゆくこともできますがね」
などと院がお言いになると、
「りっぱなお世話はできませんでも、生きています間は姫宮のおためになりたい心でございますが、健康がこんなのではね」
と答えて夫人は心細いふうにわが身を思い、自由に信仰生活へはいることのできた人々をうらやましく思った。
「尚侍の所は尼装束などもまだよくととのっていないことだろうから、早く私から贈りたいと思うが、袈裟《けさ》などというものはどんなふうにしてこしらえるものだろう。あなたがだれかに命じて縫わせてください。一そろいは六条の東の人にしてもらいましょう。あまりに法服らしくなっては見た感じもいやだろうから、その点を考慮して作るのですね」
と院はお言いになった。青鈍《あおにび》色の一そろいを夫人は新尼君のために手もとで作らせた。院は御所付きの工匠をお呼び寄せになって、尼用の手道具の製作を命じたりしておいでになった。座蒲団《ざぶとん》、上敷《うわしき》、屏風《びょうぶ》、几帳《きちょう》などのこともすぐれた品々の用意をさせておいでになった。
紫夫人の大病のために法皇の賀宴も延びて秋ということになっていたが、八月は左大将の忌月《きづき》で音楽のほうをこの人が受け持つのに不便だと思われたし、九月はまた院の太后のお崩《かく》れになった月で、それもだめ、十月にはと六条院は思っ
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