の用意をしておいでになった。皇子は東宮のほかに女宮様がただけが四人おいでになった。その中で藤壺《ふじつぼ》の女御《にょご》と以前言われていたのは三代前の帝の皇女で源姓《みなもとせい》を得た人であるが、院がまだ東宮でいらせられた時代から侍していて、后《きさき》の位にも上ってよい人であったが、たいした後援をする人たちもなく、母方といっても無勢力で、更衣《こうい》から生まれた人だったから、競争のはげしい後宮の生活もこの人には苦しそうであって、一方では皇太后が尚侍《ないしのかみ》をお入れになって、第一人者の位置をそれ以外の人に与えまいという強い援助をなされたのであったから、帝も御心《みこころ》の中では愍然《びんぜん》に思召しながら后に擬してお考えになることもなく、しかもお若くて御退位をあそばされたあとでは、藤壺の女御にもう光明の夢を作らせる日もなくて、女御は悲観をしたままで病気になり薨去《こうきょ》したが、その人のお生みした女三《にょさん》の宮《みや》を御子《みこ》の中のだれよりも院はお愛しになった。このころは十三、四でいらせられる。世の中を捨てて山寺へはいったあとに、残された内親王はだれをた
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