ずに参列したのであった。そのほかの左右二大臣、高官らも万障を排し病気もしいて忍ぶまでにして座に加わったものである。親王様はお八方来ておいでになった。いうまでもなく殿上人の数は多かった。宮中の奉仕をする者も東宮の御殿へお勤めする者も残らず集まったのであって、盛大なお儀式と見えた。やがて出家をあそばされようとする院の最後のお催し事と見ておいでになって、帝も東宮も御同情になり宮中の納殿《おさめどの》の支那《しな》渡来の物を多く御寄贈になったのであった。六条院からも多くの御贈り物があった。それは来会者へ纏頭《てんとう》に出される衣服類、主賓の大臣への贈り物の品々等である。中宮からも姫宮のお装束、櫛《くし》の箱などを特に華麗に調製おさせになって贈られた。院が昔このお后の入内《じゅだい》の時お贈りになった髪上《くしあ》げの用具に新しく加工され、しかももとの形を失わせずに見せたものが添えてあった。中宮|権亮《ごんのすけ》は院の殿上へも出仕する人であったから、それを使いにあそばして、姫宮のほうへ持参するように命ぜられたのであるが、次のようなお歌が中にあった。

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さしながら昔を今につたふれば玉の小櫛《をぐし》ぞ神さびにける
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 これを御覧になった院は身にしむ思いをあそばされたはずである。縁起が悪くもないであろうと姫宮へお譲りになった髪の具は珍重すべきものであると思召されて、青春の日の御思い出にはお触れにならず、お悦《よろこ》びの意味だけをお返事にあそばされて、

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さしつぎに見るものにもが万代《よろづよ》をつげの小櫛も神さぶるまで
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 とお書きになった。
 御病気は決して御軽快になっていなかったのを、無理あそばして御挙行になった姫宮のお裳着の式から三日目に院は御髪《みぐし》をお下《お》ろしになったのであった。普通の家でも主人がいよいよ出家をするという時の家族の悲しみは大きなものであるのに、院の御ためには悲しみ歎《なげ》く多くの後宮の人があった。尚侍はじっとおそばを離れずに歎《なげ》きに沈んでいるのを、院はなだめかねておいでになった。
「子に対する愛は限度のあるものだが、あなたのこんなに悲しむのを見ては私はもう堪えられなく苦しい心になる」
 と仰せになって、御心《みこころ》は冷静でありえな
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