よりに暮らすかと思召されることが院の第一の御苦痛であった。西山に御堂《みどう》の御建築ができて、お移りになる用意をあそばしながらも、一方では女三の宮の裳着《もぎ》の挙式の仕度《したく》をさせておいでになった。貴重な多くの御財産、美術の価値のあるお品々などはもとより、楽器や遊戯の具なども名品に近いような物は皆この宮へお譲りになって、その他の御財産、お道具類を他の宮がたへ御分配あそばされた。
東宮は院の重い御病気と、御出家の御用意のあることをお聞きになって、お見舞いの行啓をあそばされた。母君の女御もお付き添いして行った。殊寵《しゅちょう》があったわけではないが、東宮の御母となる宿縁のあった人を御尊重あそばされて、院はこの方にもこまやかにお話をあそばされた。東宮にも帝王とおなりになる日のお心得事などをお教えあそばされるのであった。御|年齢《とし》よりも大人《おとな》びておいでになったし、御後援をする人が母方のそばにも多くある方であったから、院は御安心をしておいでになるのである。
「私はもうこの世に遺憾だと心に残るようなこともない。ただ内親王たちが幾人もいることで将来どうなるかと案ぜられることは、今の場合だけでなくこの世を離れる際にも絆《ほだし》になるであろうと思われる。今まで一般の世の中に見ていても、女というものは、その人の意志でもなしに、ほかから働きかける者のために悪名も立てられ、恥辱も受けるような運命になっていくのがかわいそうだ。どの姉妹《きょうだい》にもあなたの御代《みよ》が来た時にはあたたかい庇護を加えてやってもらいたい。その中でも後見をする母などのついている者は託して行く所があるような気もしてまずいいが、女三の宮は年のゆかないのに母のない内親王なのだから、私だけをたよりにして育ってきたことを思うと、私が寺へはいったあとではどんな心細い身の上になることかと気がかりでならない」
と、涙をお拭《ぬぐ》いになりながら東宮へ後事をお頼みになるのであった。母君の女御にも信じ切ったようにして院は女三の宮のことを仰せになった。とはいっても昔宮中にあった時代には、内親王の御母の女御は格別な御|寵愛《ちょうあい》を得ていて、この方にとっては強力な競争者だったのであるから、その宮にまで憎悪《ぞうお》を持つわけはないが真心からお世話をする気にはなれなかったであろうと想像される。
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