れてあった。源氏は中宮《ちゅうぐう》の母君である、六条の御息所《みやすどころ》の見物車が左大臣家の人々のために押しこわされた時の葵《あおい》祭りを思い出して夫人に語っていた。
「権勢をたのんでそうしたことをするのはいやなことだね。相手を見くびった人も、人の恨みにたたられたようになって亡《な》くなってしまったのですよ」
と源氏はその点を曖昧《あいまい》に言って、
「残した人だってどうだろう、中将は人臣で少しずつ出世ができるだけの男だが、中宮は類のない御身分になっていられる。その時のことから言えば何という変わり方だろう。人生は元来そうしたものなのですよ。無常の世なのだから、生きている間はしたいようにして暮らしたいとは思うが、私の死んだあとであなたなどがにわかに寂しい暮らしをするようなことがあっては、かえって今|派手《はで》なことをしておかないほうがその場合に見苦しくないからと私はそんなことも思って、十分まで物はせずにいる」
などと言ったのち源氏は高官なども桟敷《さじき》へ伺候して来るので男子席のほうへ出て行った。今日《きょう》近衛《このえ》の将官として加茂へ参向を命ぜられた勅使は頭《と
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