たないのであるが、ともかくも藤を愛する宴として酒杯が取りかわされ、音楽の遊びをした。しばらくして大臣は酔った振りになって宰相中将に酒をしいようとした。源中将は酔いつぶされまいとして、それを辞し続けていた。
「あなたは末世に過ぎた学才のある人物でいながら、年のいった者を憐《あわれ》んでくれないのは恨めしい。書物にもあるでしょう、家の礼というものが。甥《おい》は伯父《おじ》を愛して敬うべきものですよ。孔子の教えには最もよく通じていられるはずなのだが、私を悩まし抜かれたとそう恨みが言いたい」
 などと言って、それは酒に酔って感傷的になっているのか源中将を少しばかり困らせた。
「伯父様を決して粗略には思っておりません。御恩のあるお祖父《じい》様の代わりと思いますだけでも、私の一身を伯父様の犠牲にしてもいいと信じているのですが、どんなことがお気に入らなかったのでしょう。もともと頭がよくないのでございますから、自身でも気づかずに失礼をしていたのでございましょう」
 とうやうやしく源中将は言うのであった。よいころを見て大臣は機嫌《きげん》よくはしゃぎ出して「藤のうら葉の」(春日さす藤のうら葉のうちとけて君し思はばわれも頼まん)と歌った。命ぜられて頭《とうの》中将が色の濃い、ことに房《ふさ》の長い藤を折って来て源中将の杯の台に置き添えた。源中将は杯を取ったが、酒の注《つ》がれる迷惑を顔に現わしている時、大臣は、

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紫にかごとはかけん藤の花まつより過ぎてうれたけれども
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 と歌った。杯を持ちながら頭を下げて謝意を表した源中将はよい形であった。

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いく返り露けき春をすぐしきて花の紐《ひも》とく折に逢《あ》ふらん
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 と歌った源中将は杯を頭中将にさした。

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たをやめの袖にまがへる藤の花見る人からや色もまさらん
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 頭中将の歌である。二男以下にもその型で杯がまわされ「みさかな」の歌がそれぞれ出たわけであるが、酔っている人たちの作ったものであったから、以上の三首よりよいというものもなかった。七日の夕月夜の中に池がほの白く浮かんで見えた。大臣の言葉のように、春の花が皆散ったあとで若葉もありなしの木の梢《こずえ》の寂しいこのごろに、横が長く出た松の、たいして大木でないのへ咲きかかった藤の花は非常に美しかった。例の美音の弁《べん》の少将がなつかしい声で催馬楽《さいばら》の「葦垣《あしがき》」を歌うのであった。
「すばらしいね」
 と大臣は戯談《じょうだん》を言って、「年経にけるこの家の」と上手《じょうず》に声を添えた。おもしろい夕月夜の藤の宴に宰相中将の憂愁は余す所なく解消された。夜がふけてから源中将は酔いに悩むふうを作って、
「あまり酔って苦しくてなりません。無事に帰りうる自信も持てませんからあなたの寝室を拝借できませんか」
 と頭中将に言っていた。大臣は、
「ねえ朝臣《あそん》、寝床をどこかで借りなさい。老人《としより》は酔っぱらってしまって失礼だからもう引き込むよ」
 と言い捨てて居間のほうへ行ってしまった。頭中将が、
「花の蔭《かげ》の旅寝ですね。どうですか、あとで迷惑になる案内役ではないかしら」
「寄りかかって松と同じ精神で咲く藤なのですから、これは軽薄な花なものですか。とにかくそんな縁起でもない言葉は使わないでおきましょう」
 と言って、中将の先導をなお求める宰相中将であった。頭中将は負けたような気がしないでもなかったが、源中将はりっぱな公子であったから、ぜひ妹との結婚を成立させたいとはこの人の念願だったことであって、満足を感じながら従弟《いとこ》を妹の所へ導いた。宰相中将はこうした立場を与えられるに至った夢のような運命の変わりようにも自己の優越を感じた。雲井《くもい》の雁《かり》はすっかり恥ずかしがっているのであったが、別れた時に比べてさらに美しい貴女《きじょ》になっていた。
「みじめな失恋者で終わらなければならなかった私が、こうして許しを受けてあなたの良人《おっと》になり得たのは、あなたに対する熱誠がしからしめたのですよ。だのにあなたは無関心に冷ややかにしておいでになる」
 と男は恨んだ。
「少将の歌われた『葦垣《あしがき》』の歌詞を聞きましたか。ひどい人だ。『河口《かはぐち》の』(河口の関のあら垣《がき》や守れどもいでてわが寝ぬや忍び忍びに)と私は返しに謡《うた》いたかった」
 女はあらわな言葉に羞恥《しゅうち》を感じて、

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「浅き名を言ひ流しける河口はいかがもらしし関のあら垣
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 いけないことでしたわ」
 と言う様子が娘らしい。男は少し笑って
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