井の雁のほうが幸福ではなやかな女性と見えるのを夫人や、そのほうの女房たちは不快がったのであるが、そんなことなどは何でもない。雲井の雁の実母である按察使《あぜち》大納言の夫人も、娘がよい婿を得たことで喜んだ。
 源氏の姫君の太子の宮へはいることはこの二十日《はつか》過ぎと日が決定した。姫君のために紫夫人は上賀茂《かみがも》の社《やしろ》へ参詣《さんけい》するのであったが、いつものように院内の夫人を誘ってみた。花散里《はなちるさと》、明石《あかし》などである。その人たちは紫夫人といっしょに出かけることはかえって自身の貧弱さを紫夫人に比べて人に見せるものであると思ってだれも参加しなかったから、たいして目に立つような参詣ぶりではなかったが、車が二十台ほどで、前駆も人数を多くはせずに人を精選してあった。それは祭りの日であったから、参詣したあとで一行は見物|桟敷《さじき》にはいって勅使の行列を見た。六条院の他の夫人たちのほうからも女房だけを車に乗せて祭り見物に出してあった。その車が皆桟敷の前に立て並べられたのである。あれはだれのほう、それは何夫人のほうの車と遠目にも知れるほど華奢《かしゃ》が尽くされてあった。源氏は中宮《ちゅうぐう》の母君である、六条の御息所《みやすどころ》の見物車が左大臣家の人々のために押しこわされた時の葵《あおい》祭りを思い出して夫人に語っていた。
「権勢をたのんでそうしたことをするのはいやなことだね。相手を見くびった人も、人の恨みにたたられたようになって亡《な》くなってしまったのですよ」
 と源氏はその点を曖昧《あいまい》に言って、
「残した人だってどうだろう、中将は人臣で少しずつ出世ができるだけの男だが、中宮は類のない御身分になっていられる。その時のことから言えば何という変わり方だろう。人生は元来そうしたものなのですよ。無常の世なのだから、生きている間はしたいようにして暮らしたいとは思うが、私の死んだあとであなたなどがにわかに寂しい暮らしをするようなことがあっては、かえって今|派手《はで》なことをしておかないほうがその場合に見苦しくないからと私はそんなことも思って、十分まで物はせずにいる」
 などと言ったのち源氏は高官なども桟敷《さじき》へ伺候して来るので男子席のほうへ出て行った。今日《きょう》近衛《このえ》の将官として加茂へ参向を命ぜられた勅使は頭《と
前へ 次へ
全17ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング