、たいして大木でないのへ咲きかかった藤の花は非常に美しかった。例の美音の弁《べん》の少将がなつかしい声で催馬楽《さいばら》の「葦垣《あしがき》」を歌うのであった。
「すばらしいね」
と大臣は戯談《じょうだん》を言って、「年経にけるこの家の」と上手《じょうず》に声を添えた。おもしろい夕月夜の藤の宴に宰相中将の憂愁は余す所なく解消された。夜がふけてから源中将は酔いに悩むふうを作って、
「あまり酔って苦しくてなりません。無事に帰りうる自信も持てませんからあなたの寝室を拝借できませんか」
と頭中将に言っていた。大臣は、
「ねえ朝臣《あそん》、寝床をどこかで借りなさい。老人《としより》は酔っぱらってしまって失礼だからもう引き込むよ」
と言い捨てて居間のほうへ行ってしまった。頭中将が、
「花の蔭《かげ》の旅寝ですね。どうですか、あとで迷惑になる案内役ではないかしら」
「寄りかかって松と同じ精神で咲く藤なのですから、これは軽薄な花なものですか。とにかくそんな縁起でもない言葉は使わないでおきましょう」
と言って、中将の先導をなお求める宰相中将であった。頭中将は負けたような気がしないでもなかったが、源中将はりっぱな公子であったから、ぜひ妹との結婚を成立させたいとはこの人の念願だったことであって、満足を感じながら従弟《いとこ》を妹の所へ導いた。宰相中将はこうした立場を与えられるに至った夢のような運命の変わりようにも自己の優越を感じた。雲井《くもい》の雁《かり》はすっかり恥ずかしがっているのであったが、別れた時に比べてさらに美しい貴女《きじょ》になっていた。
「みじめな失恋者で終わらなければならなかった私が、こうして許しを受けてあなたの良人《おっと》になり得たのは、あなたに対する熱誠がしからしめたのですよ。だのにあなたは無関心に冷ややかにしておいでになる」
と男は恨んだ。
「少将の歌われた『葦垣《あしがき》』の歌詞を聞きましたか。ひどい人だ。『河口《かはぐち》の』(河口の関のあら垣《がき》や守れどもいでてわが寝ぬや忍び忍びに)と私は返しに謡《うた》いたかった」
女はあらわな言葉に羞恥《しゅうち》を感じて、
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「浅き名を言ひ流しける河口はいかがもらしし関のあら垣
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いけないことでしたわ」
と言う様子が娘らしい。男は少し笑って
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