ら困るのです」
 と言って、斎院へ今書いた歌をまた紙にしたためて宮へお見せした。

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花の枝《え》にいとど心をしむるかな人のとがむる香をばつつめど
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 というのであるらしい。
「少し物好きなようですが、一人娘の成年式だからやむをえないと自分では定《き》めまして、こうした騒ぎをしているのですが、ほめたことではありませんから、ほかの方を頼むことはやめまして、中宮《ちゅうぐう》を御所から退出していただいて腰|結《ゆ》いをお願いしようと思っています。一家の方になっていらっしゃっても、晴れがましい気のする人格を持っておられますから、並み並みの儀式にしておいてはもったいない気がするのです」
 などと源氏は言っていた。
「そうですね。あやかる人は選ばねばなりませんね。それにはこの上もない方ですよ」
 と宮は源氏の計らいの当を得ていることをお言いになった。前斎院から香の届けられたことと、宮のおいでになったのを機会にして、夫人らの調製した薫香《くんこう》も取り寄せる使いが出された。
「湿りけのある今日の空気が香の試験に適していると思いますから」
 と言いやられたのである。夫人たちからは、いろいろに作られた香が、いろいろに飾られて来た。
「これを審判してください。あなたのほかに頼む人はない」
 こう源氏は言って、火入れなどを取り寄せて香をたき試みた。
「知る人(君ならでたれにか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る)でもないのですがね」
 と宮は謙遜《けんそん》しておいでになったが、においの繊細なよさ悪さを嗅《か》ぎ分けて、微瑕《びか》も許さないふうに詮索《せんさく》され、等級をおつけになろうとするのであった。源氏の二種の香はこの時になってはじめて取り寄せられた。右近衛府《うこんえふ》の溝川《みぞかわ》のあたりにうずめるということに代えて、西の渡殿《わたどの》の下から流れて出る園の川の汀《みぎわ》にうずめてあったのを、惟光《これみつ》宰相の子の兵衛尉《ひょうえのじょう》が掘って持って来たのである。それを宰相中将が受け取って座へ運んで来た。
「苦しい審判者になったものですよ。第一けむい」
 と宮は苦しそうに言っておいでになった。同じ法が広く伝えられていても、個人個人の趣味がそれに加わってでき上がった薫香のよさ悪さを比較して嗅《か》ぐことは興味の多いものであった。どれが第一の物とも決められない中にも斎院のお作りになった黒方香《くろぼうこう》は心憎い静かな趣がすぐれていた。侍従香では源氏の製作がすぐれて艶《えん》で優美であると宮はお言いになった。紫の女王《にょおう》のは三種あった中で、梅花香ははなやかで若々しく、その上珍しく冴《さ》えた気の添っているものであった。
「このごろの微風《そよかぜ》に焚《た》き混ぜる物としてはこれに越したにおいはないでしょう」
 と宮はおほめになる。花散里《はなちるさと》夫人は皆の競争している中へはいることなどは無理であると、こんなことにまで遺憾なく内気さを見せて、荷葉香《かようこう》を一種だけ作って来た。変わった気分のするなつかしいにおいがそれからは嗅《か》がれた。冬の夫人である明石《あかし》の君は、四季を代表する香は決まったものになっているのであるから、冬だけを卑下させておくのもよろしくないと思って、薫衣香《くんえこう》の製法の中にも、すぐれた物とされている以前の朱雀《すざく》院の法を原則にして公忠朝臣《きんただあそん》が精製したといわれる百歩《はくぶ》の処方などを参考として作った物は、製作に払われた苦心の効果の十分に表われた、優美な香を豊かに持たせたものであると、どれにも同情のある批評を宮があそばされるのを、
「八方美人の審判者だ」
 と言って源氏は笑っていた。月が出てきたので酒が座に運ばれて、宮と源氏は昔の話を始めておいでになった。うるんだ月の光の艶《えん》な夜に、雨ののちの風が少し吹いて、花の香があたりを囲んでいた。だれも皆艶な気持ちに酔っていった。侍所《さむらいどころ》のほうでは明日ある音楽の合奏のために、下ならしに楽器を出して、たくさん集まっていた殿上役人などが鳴らしてみたり、おもしろい笛の音《ね》をたてたりしていた。内大臣の子の頭《とうの》中将や弁《べん》の少将なども伺候の挨拶《あいさつ》だけをしに来て帰ろうとしたのを、源氏はとめて、そして楽器を侍にこちらへ運ばせた。頭中将は和琴《わごん》の役を命ぜられて、はなやかに掻《か》き立てて合奏はおもしろいものになった。源宰相中将は横笛を受け持った。春の調子が空までも通るほどに吹き立てた。弁の少将が拍子を取って、美しい声で梅が枝を歌い出した。この人は子供の時|韻塞《いんふたぎ》に父と来て高砂《たかさご》を歌った公子である。
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