れて、大将を愛することがまだできない。源氏は幾十度となく一歩をそこへまで進めようとした自身を引きとめ、世間も疑った関係が美しく清いもので終わったことを思って、自身ながらも正しくないことはできない性質であることを知った。紫夫人にも、
「あなたは疑ってもいたではありませんか」
 と言ったのであった。しかし常識的には考えられないこともする物好きがあるのであるから、この先はどうなることかと源氏はみずから危うく思いながらも、恋しくてならなかった人であった玉鬘の所へ、大将のいない昼ごろに行ってみた。玉鬘はずっと病気のようになっていて、朗らかでいる時間もなくしおれてばかりいるのであったが、源氏が来たので、少し起き上がって、几帳《きちょう》に隠れるようにしてすわった。源氏も以前と違った父の威厳というようなものを少し見せて、普通の話をいろいろした。平凡な大将の姿ばかりを見ているこのごろの玉鬘の目に、源氏の高雅さがつくづく映るについても、意外な運命に従っている自分がきまり悪く恥ずかしくて涙がこぼれるのであった。繊細な人情の扱われる話になってから、玉鬘は脇息《きょうそく》によりかかりながら、几帳の外の源氏のほうをのぞくようにして返辞を言っていた。少し痩《や》せて可憐《かれん》さの添った顔を見ながら源氏は、それを他人に譲るとは、自身ながらもあまりに善人過ぎたことであると残念に思われた。

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「下《お》り立ちて汲《く》みは見ねども渡り川人のせとはた契らざりしを
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 意外なことになりましたね」
 涙をのみながらこう言う源氏がなつかしく思われた。女は顔を隠しながら言う。

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みつせ川渡らぬさきにいかでなほ涙のみをの泡《あわ》と消えなん
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 源氏は微笑を見せて、
「悪い場所で消えようというのですね。しかし三途《さんず》の川はどうしても渡らなければならないそうですから、その時は手の先だけを私に引かせてくださいますか」
 と言った。また、
「あなたはお心の中でわかっていてくださるでしょう。類のないお人よしの、そして信頼のできる者は私で、他の男性のすることはそんなものでないことを経験なすったでしょう。と思うと私はみずから慰めることもできます」
 こんなことも言われて、苦しそうに見える玉鬘《たまかずら》に同情して、源氏は話を言い紛らせてしまった。
「陛下は御同情のされるもったいない仰せを下さいましたから、形式的にだけでもあなたを参内させようと思っています。家庭の妻になってしまっては、そうした務めのために御所へ出るようなことは困難らしい。単なる尚侍であることは最初の私の精神とは違っても、三条の大臣はかえって満足しておいでになることですから安心です」
 などと源氏は情味のこもった話をしていた。身にしむとも思い、恥ずかしいとも聞かれることは多いが、玉鬘はただ涙にとらわれていた。こんなに悲観的になっているのが哀れで、源氏は恋をささやくこともできなかった。ただ今後の大将と、その一家に対する態度などをよく教えていた。ただそのほうへ行ってしまうことは急に許そうとしないふうが見えた。
 御所へ尚侍を出すことで大将は不安をさらに多く感じるのであるが、それを機会に御所から自邸へ尚侍を退出させようと考えるようになってからは、短時日の間だけを宮廷へ出ることを許すようになった。こんなふうに婿として通って来る様式などは馴《な》れないことで大将には苦しいことであったから、自邸を修繕させ、いっさいを完全に設けて一日も早く玉鬘を迎えようとばかり思っていた。今日《きょう》までは邸《やしき》の中も荒れてゆくに任せてあったのである。夫人の悲しむ心も知らず、愛していた子供たちも大将の眼中にはもうなかった。好色な風流男というものは、ただ一人の人だけを愛するのでなしに、だれのため、彼のためも考えて思いやりのある処置をとるものであるが、生一本な人のこうした場合の態度には一方の夫人としてはたまるまいと憐《あわれ》まれるものがあった。夫人は人に劣った女性でもなかった。身分は尊貴な式部卿《しきぶきょう》の宮の最も大切にされた長女であって、世の中から敬われてもいた。美人でもあったが、ひどい物怪《もののけ》がついて、この何年来は尋常人のようでもないのである。狂っている時が多くて、夫婦の中も遠くなっていたが、なお唯一の妻として尊重していた大将に新しい夫人ができ、それがすぐれた美しい人である点ではなくて、世間も疑っていた源氏との関係もないことであった清い処女であった点に大将の愛は強く惹《ひ》かれてしまった。それで第一夫人はそれだけの愛を損しているわけである。式部卿の宮はこの事情をお聞きになって、
「今後そうした若い夫人を入れて派手《
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