いての大きい勢力があった。年は三十二である。夫人は紫の女王《にょおう》の姉君であった。式部卿《しきぶきょう》の宮の長女である。年が三つか四つ上であることはたいして並みはずれな夫婦ではないが、どうした理由でかその夫人をお婆様《ばあさま》と呼んで、大将は愛していなかった。どうかして別れたい、別に結婚がしたいと願っていた。そうした夫人の関係があるために、源氏は大将と玉鬘との縁談には賛成ができないでいたのである。大将の家庭のためにもそう思ったことであり、玉鬘のためにも煩雑な関係を避けさせたかったのである。大将は好色な人ではないが、夢中になって玉鬘を得ようとしていた。内大臣も断然不賛成だというのでもないという情報を大将は得ていた。玉鬘自身は宮仕えに気が進んでいないということもまた身辺にいる者からくわしく伝えられて大将は聞いていた。
「ではただ源氏の大臣だけが家庭の人になるのに反対していられるのだというわけではないか。実父がいいと思われる事どおりになすったらいいじゃないか」
と大将は仲介者の女房の弁を責めていた。
九月になった。初霜が庭をほの白くした艶《えん》な朝に、また例のように女房たちが諸方から依頼された手紙を、恥じるようにしながら玉鬘《たまかずら》の居間へ持って来たのを、自分で読むことはせずに、女房があけて読むのをだけ姫君は聞いていた。右大将のは、
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恋する人の頼みにします八月もどうやら過ぎてしまいそうな空をながめて私は煩悶《はんもん》しております。
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数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき
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十月に玉鬘が御所へ出ることを知っている書き方である。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、
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不幸な運命を持つ、無力な私は今さら何を申し上げることもないのですが、
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朝日さす光を見ても玉笹《たまざさ》の葉分《はわけ》の霜は消《け》たずもあらなん
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私の恋する心を認めていてくださいましたら、せめてそれだけを慰めにしたいと思っています。
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というのである。手紙の付けられてあったのは縮かんだようになった下折れ笹に霜の積もったのであって、来た使いの形もこの笹にふさわしい姿であった。式部卿《しきぶきょう》の宮の左兵衛督《さひょうえのかみ》は南の夫人の弟である。六条院へは始終来ている人であったから、玉鬘の宮中入りのこともよく知っていて、相当に煩悶をしているのが文意に現われていた。
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忘れなんと思ふも物の悲しきをいかさまにしていかさまにせん
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選んだ紙の色、書きよう、焚《た》きしめた薫香《くんこう》の匂《にお》いもそれぞれ特色があって、美しい感じ、はっきりとした感じ、奥ゆかしい感じをそれらの手紙から受け取ることができた。玉鬘が御所へ出るようになればこうしたことがなくなることを言って、女房たちは惜しがっていた。宮への御返事だけを、どういう気持ちになっていたのか、短くはあったが玉鬘は書いた。
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心もて日かげに向かふ葵《あふひ》だに朝置く露をおのれやは消《け》つ
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ほのかな字で書かれたこの歌に、同情を持つ心の言ってあるのを御覧になって、一つの歌ではあるが宮は非常にうれしくお思いになった。こんなふうに恨めしがる手紙はまだほかからも多く来た。求婚者を多数に持つ女の中の模範的の女だと源氏と内大臣は玉鬘を言っていたそうである。
底本:「全訳源氏物語 中巻」角川文庫、角川書店
1971(昭和46)年11月30日改版初版発行
1994(平成6)年6月15日39版発行
※このファイルは、古典総合研究所(http://www.genji.co.jp/)で入力されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には2002(平成14)年1月15日44版発行を使用しました。
入力:上田英代
校正:伊藤時也
2003年9月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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