《きょう》お顔を見て、そのころよりきれいにおなりになったと思いました。帥《そつ》の宮様はお美しいようでも品がおよろしくなくて王様というくらいにしかお見えになりませんでした」
 この批評の当たっていることを源氏は思ったが、ただ微笑《ほほえ》んでいただけであった。花散里夫人の批評は他の人たちにも及んだのであるが、よいとも悪いとも自身の意見を源氏は加えようとしないのである。難をつけられる人とか、悪く見られている人とかに同情する癖があったから。右大将のことを深味のあるような人であると夫人が言うのを聞いても、たいしたことがあるものでない、婿などにしては満足していられないであろうと源氏は否定したく思ったが、表へその心持ちを現わそうとしなかった。睦《むつ》まじくしながら夫人と源氏は別な寝床に眠るのであった。いつからこうなってしまったのかと源氏は苦しい気がした。平生花散里夫人は、源氏に無視されていると腹をたてるようなこともないが、六条院にはなやかな催しがあっても、人づてに話を聞くぐらいで済んでいるのを、今日は自身の所で会があったことで、非常な光栄にあったように思っているのであった。

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その駒《こま》もすさめぬものと名に立てる汀《みぎは》の菖蒲《あやめ》今日や引きつる
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 とおおように夫人は言った。何でもない歌であるが、源氏は身にしむ気がした。

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にほ鳥に影を並ぶる若駒はいつか菖蒲《あやめ》に引き別るべき
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 と源氏は言った。意はそれでよいが夫人の謙遜《けんそん》をそのまま肯定した言葉は少し気の毒である。
「二六時中あなたといっしょにいるのではないが、こうして信頼をし合って暮らすのはいいことですね」
 戯れを言うのでもこの人に対してはまじめな調子にされてしまう源氏であった。帳台の中の床を源氏に譲って、夫人は几帳《きちょう》を隔てた所で寝た。夫婦としての交渉などはもはや不似合いになったとしている人であったから、源氏もしいてその心を破ることをしなかった。
 梅雨《つゆ》が例年よりも長く続いていつ晴れるとも思われないころの退屈さに六条院の人たちも絵や小説を写すのに没頭した。明石《あかし》夫人はそんなほうの才もあったから写し上げた草紙などを姫君へ贈った。若い玉鬘《たまかずら》はまして興味を小説に持って、毎日写しもし、読みもすることに時を費やしていた。こうしたことの相手を勤めるのに適した若い女房が何人もいるのであった。数奇な女の運命がいろいろと書かれてある小説の中にも、事実かどうかは別として、自身の体験したほどの変わったことにあっている人はないと玉鬘は思った。住吉《すみよし》の姫君がまだ運命に恵まれていたころは言うまでもないが、あとにもなお尊敬されているはずの身分でありながら、今一歩で卑しい主計頭《かずえのかみ》の妻にされてしまう所などを読んでは、恐ろしかった監《げん》のことが思われた。源氏はどこの御殿にも近ごろは小説類が引き散らされているのを見て玉鬘に言った。
「いやなことですね。女というものはうるさがらずに人からだまされるために生まれたものなんですね。ほんとうの語られているところは少ししかないのだろうが、それを承知で夢中になって作中へ同化させられるばかりに、この暑い五月雨《さみだれ》の日に、髪の乱れるのも知らずに書き写しをするのですね」
 笑いながらまた、
「けれどもそうした昔の話を読んだりすることがなければ退屈は紛れないだろうね。この嘘《うそ》ごとの中にほんとうのことらしく書かれてあるところを見ては、小説であると知りながら興奮をさせられますね。可憐《かれん》な姫君が物思いをしているところなどを読むとちょっと身にしむ気もするものですよ。また不自然な誇張がしてあると思いながらつり込まれてしまうこともあるし、またまずい文章だと思いながらおもしろさがある個所にあることを否定できないようなのもあるようですね。このごろあちらの子供が女房などに時々読ませているのを横で聞いていると、多弁な人間があるものだ、嘘を上手《じょうず》に言い馴《な》れた者が作るのだという気がしますが、そうじゃありませんか」
 と言うと、
「そうでございますね。嘘を言い馴れた人がいろんな想像をして書くものでございましょうが、けれど、どうしてもほんとうとしか思われないのでございますよ」
 こう言いながら玉鬘《たまかずら》は硯《すずり》を前へ押しやった。
「不風流に小説の悪口を言ってしまいましたね。神代以来この世であったことが、日本紀《にほんぎ》などはその一部分に過ぎなくて、小説のほうに正確な歴史が残っているのでしょう」
 と源氏は言うのであった。
「だれの伝記とあらわに言ってなくても、善《よ》い
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