むつ》まじくすることを勧めていた。中将はいつもまじめで、よけいな想像などはしないふうで、姉と信じていた。内大臣家の公達《きんだち》も中将に伴われてこちらの御殿へ、下心をほのめかすふうに来たりもするのであるが、そうした問題ではなしに、なつかしい気持ちでほんとうの兄弟たちを玉鬘はながめていた。実父に逢《あ》いたいと常に人知れず思うのであるが、その素振りは見せずに、信頼しきった様子だけが源氏に見えるのも、いっそう可憐《かれん》に、いっそう処女らしくこの人を思わせた。似ているというのではないがやはり母の夕顔のよさがそのままこの人にもあって、その上に才女らしいところが添っていた。
 衣がえをする初夏は、空の気持ちなども理由なしに感じのよい季節であるが、閑暇《ひま》の多い源氏はいろいろな遊び事に時を使っていた。玉鬘のほうへ男性から送って来る手紙の多くなることに興味を持って、またしても西の対へ出かけてはそれらの懸想文《けそうぶみ》を源氏は読むのであった。あるものは返事を書けと源氏が勧めたりするのを玉鬘は苦しく思った。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮がまだ何ほどの時間が経過しているのでもないのに、もうあせって恨みらしいことをたくさんお書きになった手紙を、ほかの手紙の中から見いだして心からおかしそうに源氏は笑った。
「私は若い時からおおぜいの兄弟たちの中で、この宮とだけは最も親密な交際ができたのだが、恋愛問題については私に話されたことがなかったし、私もその方面のことは別にしてあったものだが、今になって宮の恋のお悩みに触れるということで、私は満足もでき、また物哀れな気にもなる。ぜひこのかたなどにはお返事をお書きなさい。少し見識を備えた女が、交際を始める価値のある男と言ってはこの宮以外にあるとも思えないかたなのですからね」
 などと若い女の心を惹《ひ》きそうなことを源氏は言うのであるが、玉鬘はただ恥ずかしくばかり聞いていた。右大将が高官の典型のようなまじめな風采《ふうさい》をしながら、恋の山には孔子も倒れるという諺《ことわざ》をほんとうにして見せようとするふうな熱意のある手紙を書いているのも源氏にはおもしろく思われた。そうした幾通かの中に、薄青色の唐紙の薫物《たきもの》の香を深く染《し》ませたのを、細く小さく結んだのがあった。あけて見るときれいな字で、

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思ふとも君は知らじな湧《わ》き返り岩|洩《も》る水に色し見えねば
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 と書いてある。書き方に近代的なはかなさが見せてあるのである。
「これはどんな人のですか」
 と源氏は聞くのであるが、はかばかしい返辞を玉鬘はしない。源氏は右近を呼び出した。
「こんな手紙をよこす人たちに細心な注意を払ってね、分類をしてね、返事をすべき人には返事をさせなければいけない。近ごろの男が暴力で恋を遂げるというようなことも、必ずしも男の咎《とが》ばかりではない。それは私自身も体験したことで、あまりに冷淡だ、無情だ、恨めしいと、そんな気持ちが積もり積もって、無法をしてしまうのだ。またそれが身分の低い女であれば、失敬な態度だと思っては罪を犯すことにもなるのだ。たいしたことでなしに、花や蝶につけての返事はして、この程度の交際を持続させておくことも相手を熱心にさせる効果のあるものだからね。あるいはまたそれなりに双方で忘れてしまうことになっても少しもさしつかえのないことだ。けれどまた誠意のない出来心で手紙をよこしたような場合にすぐ返事を書いてやるのもよろしくない。あとで批難されても弁解のしようがない。全体女というものは、慎み深くしていずに、動いた感情をありのままに相手へ見せることをしては、結果は必ずよくないものだが、宮や大将が謙遜《けんそん》な態度をとって、いいかげんな一時的な恋をされる訳はないのだからね。いつも返事をせずに自尊心を持ち過ぎた女のように思わせるのも、この人にはふさわしくないことだからね。またそれ以下の人たちのことは、忍耐力の強さ、月日の長さ短さによって、それ相応に好意的な返事をするのだね」
 と源氏が言っている間、顔を横向けていた玉鬘《たまかずら》の側面が美しく見えた。派手《はで》な薄色の小袿《こうちぎ》に撫子《なでしこ》色の細長を着ている取り合わせも若々しい感じがした。身の取りなしなどに難はなかったというものの、以前は田舎の生活から移ったばかりのおおようさが見えるだけのものであった。紫夫人などの感化を受けて、今では非常に柔らかな、繊細な美が一挙一動に現われ、化粧なども上手《じょうず》になって、不満足な気のするようなことは一つもないはなやかな美人になっていた。人の妻にさせては後悔が残るであろうと源氏は思った。右近も二人を微笑《ほほえ》んでながめながら、父親として見るのに不似合いな源氏の若さは、夫婦であったなら最もふさわしい配偶であろうと思っていた。
「ほかからのお手紙のお取り次ぎは決してだれもいたさないのでございます。前からも送っておいでになります方のは、三度も四度も続けてお返しばかりしてはと思いまして、ただ私たちだけでお預かりしているのでございますから、お返事は、殿様が書けとお言いになります分だけを、それも迷惑がってお書きになるだけなのでございます」
 と右近が言う。
「それにしてもこの控え目な結んであった手紙はだれのかね。苦心の跡の見えるものだ」
 微笑を浮かべながら源氏はこの手紙に目を落としていた。
「それはぜひ置かせてくれとお言いになったのでございまして、内大臣家の中将さんがこちらの海松子《みるこ》を前に知っていらっしゃいまして、海松子が持って参ったのでございます。だれもまだ内容は拝見しておりませんでした」
「かわいい話ではないか。今は殿上役人級であっても、あの人たちに失敬なことをしていい訳はない。公卿《こうけい》といってもこの人の勢いに必ずしも皆まで匹敵できるものでない。私の予言は必ず当たるよ。この人たちには露骨でなく、上手《じょうず》に切尖《きっさき》をはずさせるように工夫《くふう》するのだね。おもしろい手紙だよ」
 と言って、源氏はその手紙をすぐにも下へ置かずに見ていた。
「私がいろいろと考えたり、言ったりしていても、あなたにこうしたいと思っておいでになることがないのであろうかと、気づかわしい所もあります。内大臣に名のって行くことも、まだ結婚前のあなたが、長くいっしょにいられる夫人や子供たちの中へはいって行って幸福であるかどうかが疑問だと思って私は躊躇《ちゅうちょ》しているのです。女として普通に結婚をしてから出会う機会をとらえたほうがいいと思うのですが、その結婚相手ですね、兵部卿の宮は表面独身ではいられるが、女好きな方で、通ってお行きになる人の家も多いようだし、また邸《やしき》には召人《めしゅうど》という女房の中の愛人が幾人もいるということですからね、そんな関係というものは、夫人になる人が嫉妬《しっと》を見せないで自然に矯正《きょうせい》させる努力さえすれば、世間へ醜態も見せずに穏やかに済みますが、そうした気持ちになれない性格の人は、そんなつまらぬことから夫婦仲がうまくゆかずに、良人《おっと》の愛を失ってしまう結果にもなりますから、ある覚悟がいりますよ。右大将は若い時からいっしょにいた夫人が年上であることなどから、その人と別れるためにも、新たな結婚をしたがっているのですが、しかし、それも面倒《めんどう》の添った縁だと人の言うそれですからね、だから私も相手をだれとも仮定して考えて見ることができないのです。こんなことは親にもはっきりと意見の述べられない問題なのだが、あなたもひどくまだ若いというのではないから、自身の結婚する相手について判断のできない訳はないと思う。私をあなたのお母様だと思って、何でも相談してくだすったらいいと思う。あなたに不満足な思いをさせるような結婚はさせたくないと私は思っているのです」
 こう源氏はまじめに言っていたが、玉鬘《たまかずら》はどう返事をしてよいかわからないふうを続けているのもさげすまれることになるであろうと思って言った。
「まだ物心のつきませんころから、親というものを目に見ない世界にいたのでございますから、親がどんなものであるか、親に対する気持ちはどんなものであるか私にはわかってないのでございます」
 このおおような言葉がよくこの人を現わしていると源氏は思った。そう思うのがもっともであるとも思った。
「では、親のない子は育ての親を信頼すべきだという世間の言いならわしのように私の誠意をだんだんと認めていってくれますか」
 などと源氏は言っていた。恋しい心の芽ばえていることなどは気恥ずかしくて言い出せなかった。それとなくその気持ちを言う言葉は時々混ぜもするのであるが、気のつかぬふうであったから、歎息《たんそく》をしながら源氏は帰って行こうとした。縁に近くはえた呉竹《くれたけ》が若々しく伸びて、風に枝を動かす姿に心が惹《ひ》かれて、源氏はしばらく立ちどまって、

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「ませのうらに根深く植ゑし竹の子のおのがよよにや生《お》ひ別るべき
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 その時の気持ちが想像されますよ。寂しいでしょうからね」
 外から御簾《みす》を引き上げながらこう言った。玉鬘は膝行《いざ》って出て言った。

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「今さらにいかならんよか若竹の生ひ始めけん根をば尋ねん
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 かえって幻滅を味わうことになるでしょうから」
 源氏は哀れに聞いた。玉鬘の心の中ではそうも思っているのではなかった。どんな時に機会が到来して父を父と呼ぶ日が来るのであろうとたよりない悲しみをしているのであるが、源氏の好意に感激はしていて、実父といっても初めから育てられなかった親は、これほどこまやかな愛を自分に見せてくれないのではあるまいかと、古い小説などからもいろいろと人生を教えられている玉鬘《たまかずら》は想像して、自身が源氏の感情を無視して勝手に父へ名のって行くことなどはできないとしていた。
 源氏は別れぎわに玉鬘の言ったことで、いっそうその人を可憐《かれん》に思って、夫人に話すのであった。
「不思議なほど調子のなつかしい人ですよ。母であった人はあまりに反撥《はんぱつ》性を欠いた人だったけれど、あの人は、物の理解力も十分あるし、美しい才気も見えるし、安心されないような点が少しもない」
 この源氏の賞《ほ》め言葉を聞いていて夫人は、良人《おっと》が単に養女として愛する以外の愛をその人に持つことになっていく経路を、源氏の性格から推して察したのである。
「理解力のある方にもせよ、全然あなたを信用してたよっていてはどんなことにおなりになるかとお気の毒ですわ」
 と女王《にょおう》は言った。
「私は信頼されてよいだけの自信はあるのだが」
「いいえ、私にも経験があります。悩ましいような御様子をお見せになったことなど、そんなこと私はいくつも覚えているのですもの」
 微笑をしながら言っている夫人の神経の鋭敏さに驚きながら、源氏は、
「あなたのことなどといっしょにするのはまちがいですよ。そのほかのことで私は十分あなたに信用されてよいこともあるはずだ」
 と言っただけで、やましい源氏はもうその話に触れようとしないのであったが、心の中では、妻の疑いどおりに自分はなっていくのでないかという不安を覚えていた。同時にまた若々しいけしからぬ心であると反省もしていたのである。
 気にかかる玉鬘を源氏はよく見に行った。しめやかな夕方に、前の庭の若楓《わかかえで》と柏《かしわ》の木がはなやかに繁り合っていて、何とはなしに爽快《そうかい》な気のされるのをながめながら、源氏は「和しまた清し」と詩の句を口ずさんでいたが、玉鬘の豊麗な容貌《ようぼう》が、それにも思い出されて、西の対へ行った。手習いなどをしながら気楽な風でいた玉鬘が、起き上がった恥ずかしそうな顔の色が美しく思われた。その柔らかいふうにふと昔の夕顔が思い出されて、源氏
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