《れいじん》を呼んで、船楽を奏させた。親王がた高官たちの多くが参会された。このごろ中宮は御所から帰っておいでになった。去年の秋「心から春待つ園」の挑戦《ちょうせん》的な歌をお送りになったお返しをするのに適した時期であると紫の女王《にょおう》も思うし、源氏もそう考えたが、尊貴なお身の上では、ちょっとこちらへ招待申し上げて花見をおさせするというようなことが不可能であるから、何にも興味を持つ年齢の若い宮の女房を船に乗せて、西東続いた南庭の池の間に中島の岬《みさき》の小山が隔てになっているのを漕《こ》ぎ回らせて来るのであった。東の釣殿《つりどの》へはこちらの若い女房が集められてあった。竜頭鷁首《りゅうとうげきしゅ》の船はすっかり唐風に装われてあって、梶取《かじと》り、棹取《さおと》りの童侍《わらわざむらい》は髪を耳の上でみずらに結わせて、これも支那《しな》風の小童に仕立ててあった。大きい池の中心へ船が出て行った時に、女房たちは外国の旅をしている気がして、こんな経験のかつてない人たちであるから非常におもしろく思った。中島の入り江になった所へ船を差し寄せて眺望《ちょうぼう》をするのであったが、ちょ
前へ
次へ
全28ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング