がおもしろかった。蝶《ちょう》ははかないふうに飛び交《か》って、山吹が垣《かき》の下に咲きこぼれている中へ舞って入る。中宮の亮《すけ》をはじめとしてお手伝いの殿上役人が手に手に宮の纏頭《てんとう》を持って童女へ賜わった。鳥には桜の色の細長、蝶へは山吹襲《やまぶきがさね》をお出しになったのである。偶然ではあったがかねて用意もされていたほど適当な賜物《たまもの》であった。伶人《れいじん》への物は白の一襲《ひとかさね》、あるいは巻き絹などと差があった。中将へは藤《ふじ》の細長を添えた女の装束をお贈りになった。中宮のお返事は、
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昨日は泣き出したくなりますほどうらやましく思われました。

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こてふにも誘はれなまし心ありて八重山吹を隔てざりせば
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 というのであった。すぐれた貴女《きじょ》がたであるが歌はお上手《じょうず》でなかったのか、ほかのことに比べて遜色《そんしょく》があるとこの御贈答などでは思われる。昨日のことであるが、招かれて行った女房たちの、中宮のほうから来た人たちには意匠のおもしろい贈り物がされたのであった。そんなことをあまりこまごまと記述することは読者にうるさいことであるから省略する。毎日のようにこうした遊びをして暮らしている六条院の人たちであったから、女房たちもまた幸福であった。各夫人、姫君の間にも手紙の行きかいが多かった。
 玉鬘《たまかずら》の姫君はあの踏歌《とうか》の日以来、紫夫人の所へも手紙を書いて送るようになった。人柄の深さ浅さはそれだけで判断されることでもないが、落ち着いたなつかしい気持ちの人であることだけは認められて、花散里《はなちるさと》からも、紫の女王からも玉鬘は好意を持たれた。結婚を申し込む人は多かった。いいかげんに自分だけでこのことはだれにと決めてしまうことのできないことであると源氏は思っているのであった。自身でも親の心になりきってしまうことが不可能な気がするのか、実父に玉鬘《たまかずら》の存在を報ぜようかという考えの起こることも間々あった。源中将は親しい気持ちで玉鬘の居間の御簾《みす》に近く来て話すこともある。玉鬘もそれに対して、自身が直接話をしなければならないことになっているのを女は恥ずかしく思ったが、兄弟ということになっているのであるからといって、右近たちは睦《
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