存じないものでお世話をいたしませんでした」
と忠実なふうに言うのを聞いていて、真実のことを知っている者はきまり悪い気がするほどであった。物質的にも一所懸命の奉仕をしていた九州時代の姫君の住居も現在の六条院の華麗な設備に思い比べてみると、それは田舎らしいたまらないものであったようにおとど[#「おとど」に傍点]などは思われた。すべてが洗練された趣味で飾られた気高《けだか》い家にいて、親兄弟である親しい人たちは風采《ふうさい》を始めとして、目もくらむほどりっぱな人たちなので、こうなってはじめて三条も大弐を軽蔑《けいべつ》してよい気になった。まして大夫《たゆう》の監《げん》は思い出すだけでさえ身ぶるいがされた。何事も豊後介《ぶんごのすけ》の至誠の賜物《たまもの》であることを玉鬘も認めていたし、右近もそう言って豊後介を賞《ほ》めた。確《しか》とした規律のある生活をするのにはそれが必要であると言って、玉鬘付きの家従や執事が決められた時に豊後介もその一人に登用された。すっかり田舎上がりの失職者になっていた豊後介はにわかに朗らかな身の上になった。かりにも出入りする便宜などを持たなかった六条院に朝夕出
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