田舎《いなか》でお育ちになっていることももったいないことと思っておりましたが、そのうち京へお供して参って、御肉身のかたがたへお知らせ申し、その先はあなた様の運命に任せるといたしましても、京は広い所ですから、よいこともきっとあって、安心がさせていただけると思いまして、その実行を早く早くとあせるように思っておりましたが、希望の実現どころか、私はもうここで死ぬことになりました」
 と悲痛なことを言っていた。三人の男の子に、
「おまえたちは何よりせねばならぬことを、姫君を京へお供することと思え。私のための仏事などはするに及ばん」
 と遺言をした。父君のだれであるかは自身の家の者にも言わずに、ただ大切にする訳のある孫であると言ってあって、大事にかしずいているうちに、こんなふうでにわかに死んだのであったから、家族は心細がって京への出立を急ぐのであるが、この国には故人の少弐に反感を持っていた人が多かったから、そんな際に報復を受けることが恐ろしくて、今しばらく今しばらくとはばかって暮らしている間にも、年月がどんどんたってしまった。妙齢になった姫君の容貌《ようぼう》は母の夕顔よりも美しかった。父親のほうの筋によるのか、気高《けだか》い美がこの人には備わっていた、性質も貴女《きじょ》らしくおおようであった。故人の少弐の家に美しい娘のいる噂《うわさ》を聞いて、好色な地方人などが幾人《いくたり》も結婚を申し込んだり、手紙を送って来たりする。失敬なことであるとも、とんでもないことであるとも思って、だれ一人これに好意を持ってやる者はなかった。
「容貌はまず無難でも、不具なところが身体《からだ》にある孫ですから、結婚はさせずに尼にして自分の生きている間は手もとへ置く」
 乳母《めのと》はこんなことを宣伝的に言っているのである。
「少弐の孫は片輪《かたわ》だそうだ、惜しいものだ、かわいそうに」
 と人が言うのを聞くと、乳母はまた済まない気がして、
「どんなにしても京へおつれしてお父様の殿様にお知らせしよう、まだごくお小さい時にも非常におかわいがりになっていたのだから、今になっても決してそまつにはあそばすまい」
 と乳母は興奮する。それの実現されるように神や仏に願を立てていた。娘たちも息子《むすこ》たちも土地の者と縁組みをして土着せねばならぬように傾いていく。心の中では忘れないが京はいよいよ遠い所に
前へ 次へ
全28ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング