の気がかり千万なことであろうし、話をお聞きになった以上は、いっしょにつれて行ってもよいと父君が許されるはずがないなどと言い出す者もあって、美しくて、すでにもう高貴な相の備わっている姫君を、普通の旅役人の船に乗せて立って行く時、その人々は非常に悲しがった。幼い姫君も母君を忘れずに、
「お母様の所へ行くの」
と時々尋ねることが人々の心をより切なくした。涙の絶え間もないほど夕顔夫人を恋しがって娘たちの泣くのを、
「船の旅は縁起を祝って行かなければならないのだから」
とも親たちは小言《こごと》を言った。美しい名所名所を見物する時、
「若々しいお気持ちの方で、お喜びになるでしょうから、こんな景色《けしき》をお目にかけたい。けれども奥様がおいでになったら私たちは旅に出てないわけですね」
こんなことを言って、京ばかりの思われるこの人たちの目には帰って行く波もうらやましかった。心細くなっている時に、船夫《かこ》たちは荒々しい声で「悲しいものだ、遠くへ来てしまった」という意味の唄《うた》を唄う声が聞こえてきて、姉妹《きょうだい》は向かい合って泣いた。
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船人もたれを恋ふるや大島のうら悲しくも声の聞こゆる
来《こ》し方も行方《ゆくへ》も知らぬ沖に出《い》でてあはれ何処《いづこ》に君を恋ふらん
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海の景色を見てはこんな歌も作っていた。金《かね》の岬《みさき》を過ぎても「千早《ちはや》振る金の御崎《みさき》を過ぐれどもわれは忘れずしがのすめ神」という歌のように夕顔夫人を忘れることができずに娘たちは恋しがった。少弐一家は姫君をかしずき立てることだけを幸福に思って任地で暮らしていた。夢などにたまさか夕顔の君を見ることもあった。同じような女が横に立っているような夢で、その夢を見たあとではいつもその人が病気のようになることから、もう死んでおしまいになったのであろうと、悲しいが思うようになった。
少弐は任期が満ちた時に出京しようと思ったが、出京して失職しているより、地方にこのままいるほうが生活の楽な点があって、思いきって上京することもようしなかった。その間に当人は重い病気になった。少弐は死ぬまぎわにも、もう十歳《とお》ぐらいになっていて、非常に美しい姫君を見て、
「私までもお見捨てすることになれば、どんなに御苦労をなされることだろう、卑しい
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