大弐の夫人が突然訪ねて来た。平生はそれほど親密にはしていないのであるが、つれて行きたい心から、作った女王の衣裳《いしょう》なども持って、よい車に乗って来た得意な顔の夫人がにわかに常陸の宮邸へ現われたのである。門をあけさせている時から目にはいってくるものは荒廃そのもののような寂しい庭であった。門の扉も安定がなくなっていて倒れたのを、供の者が立て直したりする騒ぎである。この草の中にもどこかに三つだけの道はついているはずであると皆が捜した。そしてやっと建物の南向きの縁の所へ車を着けた。
 きまりの悪い迷惑なことと思いながら女王は侍従を応接に出した。煤《すす》けた几帳《きちょう》を押し出しながら侍従は客と対したのである。容貌《ようぼう》は以前に比べてよほど衰えていた。しかしやつれながらもきれいで、女王の顔に代えたい気がする。
「もう出発しなければならないのですが、こちらのことが気がかりなものですから、今日は侍従の迎えがてらお訪《たず》ねしました。私の好意をくんでくださらないで、御自分がちょっとでも来てくださることを御承知にならないことはやむをえませんが、せめて侍従だけをよこしていただくお許しをいただきに来たのです。まあお気の毒なふうで暮らしていらっしゃるのですね」
 こう言ったのであるから、続いて泣いてみせねばならないのであるが、実は大弐夫人は九州の長官夫人になって出発して行く希望に燃えているのである。
「宮様がおいでになったころ、私の結婚相手が悪いからって、交際するのをおきらいになったものですから、私らもついかけ離れた冷淡なふうになっていましたものの、それからもこちら様は源氏の大将さんなどと御結婚をなさるような御幸運でいらっしゃいましたから、晴れがましくてお出入りもしにくかったのです。しかし人間世界は幸福なことばかりもありませんからね、その中でわれわれ階級の者がかえって気楽なんですよ。及びもない懸隔のあるお家《うち》でしたが、こちらはお気の毒なことになってしまいまして、私も心配なんですが、近くにおりますうちは、何かの場合に力にもなれると思っていましたものの、遠い所へ出て行くことになりますと、とてもあなたのことが気になってなりません」
 と夫人は言うのであるが、女王は心の動いたふうもなかった。
「御好意はうれしいのですが、人並みの人にもなれない私はこのままここで死んで行くのが何よりもよく似合うことだろうと思います」
 とだけ末摘花は言う。
「それはそうお思いになるのはごもっともですが、生きている人間であって、こんなひどい場所に住んでいるのなどはほかにめったにないでしょう。大将さんが修繕をしてくだすったら、またもう一度玉の台《うてな》にもなるでしょうと期待されますがね。近ごろはどうしたことでしょう、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の姫君のほかはだれも嫌《きら》いになっておしまいになったふうですね。昔から恋愛関係をたくさん持っていらっしゃった方でしたが、それも皆清算しておしまいになりましたってね。ましてこんなみじめな生き方をしていらっしゃる人を、操《みさお》を立てて自分を待っていてくれたかと受け入れてくださることはむずかしいでしょうね」
 こんなよけいなことまで言われてみると、そうであるかもしれないと末摘花は悲しく泣き入ってしまった。しかも九州行きを肯《うべな》うふうは微塵《みじん》もない。夫人はいろいろと誘惑を試みたあとで、
「では侍従だけでも」
 と日の暮れていくのを見てせきたてた。侍従は名残《なごり》を惜しむ間もなくて、泣く泣く女王《にょおう》に、
「それでは、今日はあんなにおっしゃいますから、お送りにだけついてまいります。あちらがああおっしゃるのももっともですし、あなた様が行きたく思召《おぼしめ》さないのも御無理だとは思われませんし、私は中に立ってつらくてなりませんから」
 と言う。この人までも女王を捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも末摘花は思うのであるが、引き止めようもなくてただ泣くばかりであった。形見に与えたい衣服も皆悪くなっていて長い間のこの人の好意に酬《むく》いる物がなくて、末摘花は自身の抜け毛を集めて鬘《かずら》にした九尺ぐらいの髪の美しいのを、雅味のある箱に入れて、昔のよい薫香《くんこう》一|壺《つぼ》をそれにつけて侍従へ贈った。

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「絶ゆまじきすぢを頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる
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 死んだ乳母《まま》が遺言したこともあるからね、つまらない私だけれど一生あなたの世話をしたいと思っていた。あなたが捨ててしまうのももっともだけれど、だれがあなたの代わりになって私を慰めてくれる者があると思って立って行くのだろうと思うと恨めしいのよ」
 と言って、女王は非常に泣い
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