るからなのでしょう」
 と女王《にょおう》は怨《うら》んだ。
「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。私の思っていないことを忖度《そんたく》して恨んでいるから私としては悲しくなる」
 と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。
「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せばまた悪くあなたが取るから」
 とその話を続けずに、
「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」
 などと子の母について語った。別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌《ようぼう》の批評、名手らしい琴の弾《ひ》きようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、仮にもせよ良人《おっと》は心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息《たんそく》をしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
「どんなに私は悲しかったろう」
 歎息しながら独言《ひとりごと》のようにこう言ってから、

[#ここから2字下げ]
思ふどち靡《なび》く方にはあらずとも我《われ》ぞ煙に先立ちなまし
[#ここで字下げ終わり]

「何ですって、情けないじゃありませんか、

[#ここから2字下げ]
たれにより世をうみやまに行きめぐり絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
[#ここで字下げ終わり]

 そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたと永《なが》く幸福でいたいためじゃないのですか」
 源氏は十三絃の掻《か》き合わせをして、弾《ひ》けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬《しっと》はして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。
 五月の五日が五十日《いか》の祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎《いなか》で父のいぬ場所で生まれるとは憐《あわ》れな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、后《きさき》の望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。五十日《いか》のために源氏は明石へ使いを出した。
「ぜひ当日着くようにして行け」
 と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢《かしゃ》な祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。

[#ここから2字下げ]
海松や時ぞともなきかげにゐて何のあやめもいかにわくらん

[#ここから1字下げ]
からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。私はこの苦しみに堪えられないと思う。ぜひ京へ出て来ることにしてください。こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じてない。
[#ここで字下げ終わり]
 という手紙であった。入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。明石でも式の用意は派手《はで》にしてあった。見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母《めのと》も明石の君の優しい気質に馴染《なじ》んで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に近いほどの家の女《むすめ》もここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えに磨《す》り尽くされたような年配の者が生活の苦から脱《のが》れるために田舎《いなか》下りをしたのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳《しんしん》の家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、ま
前へ 次へ
全11ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング