ったが、この障《さわ》りで官吏の任免は決まらずに終わった形である。若い夫人の突然の死に左大臣邸は混乱するばかりで、夜中のことであったから叡山《えいざん》の座主《ざす》も他の僧たちも招く間がなかった。もう危篤な状態から脱したものとして、だれの心にも油断のあった隙《すき》に、死が忍び寄ったのであるから、皆|呆然《ぼうぜん》としている。所々の慰問使が集まって来ていても、挨拶《あいさつ》の取り次ぎを託されるような人もなく、泣き声ばかりが邸内に満ちていた。大臣夫婦、故人の良人《おっと》である源氏の歎《なげ》きは極度のものであった。これまで物怪《もののけ》のために一時的な仮死状態になったこともたびたびあったのを思って、死者として枕を直すこともなく、二、三日はなお病夫人として寝させて、蘇生《そせい》を待っていたが、時間はすでに亡骸《なきがら》であることを証明するばかりであった。もう死を否定してみる理由は何一つないことをだれも認めたのである。源氏は妻の死を悲しむとともに、人生の厭《いと》わしさが深く思われて、所々から寄せてくる弔問の言葉も、どれもうれしく思われなかった。院もお悲しみになってお使いをくだ
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