辱されていることをまたこれによっても御息所はいたましいほど感じた。
[#ここから2字下げ]
影をのみみたらし川のつれなさに身のうきほどぞいとど知らるる
[#ここで字下げ終わり]
こんなことを思って、涙のこぼれるのを、同車する人々に見られることを御息所は恥じながらも、また常よりもいっそうきれいだった源氏の馬上の姿を見なかったならとも思われる心があった。行列に参加した人々は皆|分《ぶん》相応に美しい装いで身を飾っている中でも高官は高官らしい光を負っていると見えたが、源氏に比べるとだれも見栄《みば》えがなかったようである。大将の臨時の随身を、殿上にも勤める近衛《このえ》の尉《じょう》がするようなことは例の少ないことで、何かの晴れの行幸などばかりに許されることであったが、今日は蔵人《くろうど》を兼ねた右近衛《うこんえ》の尉が源氏に従っていた。そのほかの随身も顔姿ともによい者ばかりが選ばれてあって、源氏が世の中で重んぜられていることは、こんな時にもよく見えた。この人にはなびかぬ草木もないこの世であった。壺装束《つぼしょうぞく》といって頭の髪の上から上着をつけた、相当な身分の女たちや尼さんなども、群集の中に倒れかかるようになって見物していた。平生こんな場合に尼などを見ると、世捨て人がどうしてあんなことをするかと醜く思われるのであるが、今日だけは道理である。光源氏を見ようとするのだからと同情を引いた。着物の背中を髪でふくらませた、卑しい女とか、労働者階級の者までも皆手を額に当てて源氏を仰いで見て、自身が笑えばどんなおかしい顔になるかも知らずに喜んでいた。また源氏の注意を惹《ひ》くはずもないちょっとした地方官の娘なども、せいいっぱいに装った車に乗って、気どったふうで見物しているとか、こんないろいろな物で一条の大路《おおじ》はうずまっていた。源氏の情人である人たちは、恋人のすばらしさを眼前に見て、今さら自身の価値に反省をしいられた気がした。だれもそうであった。式部卿の宮は桟敷《さじき》で見物しておいでになった。まぶしい気がするほどきれいになっていく人である。あの美に神が心を惹《ひ》かれそうな気がすると宮は不安をさえお感じになった。宮の朝顔の姫君はよほど以前から今日までも忘れずに愛を求めてくる源氏には普通の男性に見られない誠実さがあるのであるから、それほどの志を持った人は少々欠点があっても好意が持たれるのに、ましてこれほどの美貌《びぼう》の主であったかと思うと一種の感激を覚えた。けれどもそれは結婚をしてもよい、愛に報いようとまでする心の動きではなかった。宮の若い女房たちは聞き苦しいまでに源氏をほめた。
翌日の加茂祭りの日に左大臣家の人々は見物に出なかった。源氏に御禊《みそぎ》の日の車の場所争いを詳しく告げた人があったので、源氏は御息所《みやすどころ》に同情して葵夫人の態度を飽き足らず思った。貴婦人としての資格を十分に備えながら、情味に欠けた強い性格から、自身はそれほどに憎んではいなかったであろうが、そうした一人の男を巡って愛の生活をしている人たちの間はまた一種の愛で他を見るものであることを知らない女主人の意志に習って付き添った人間が御息所を侮辱したに違いない、見識のある上品な貴女である御息所はどんなにいやな気がさせられたであろうと、気の毒に思ってすぐに訪問したが、斎宮がまだ邸《やしき》においでになるから、神への遠慮という口実で逢《あ》ってくれなかった。源氏には自身までもが恨めしくてならない、現在の御息所の心理はわかっていながらも、どちらもこんなに自己を主張するようなことがなくて柔らかに心が持てないのであろうかと歎息《たんそく》されるのであった。
祭りの日の源氏は左大臣家へ行かずに二条の院にいた。そして町へ見物に出て見る気になっていたのである。西の対へ行って、惟光《これみつ》に車の用意を命じた。
「女連も見物に出ますか」
と言いながら、源氏は美しく装うた紫の姫君の姿を笑顔《えがお》でながめていた。
「あなたはぜひおいでなさい。私がいっしょにつれて行きましょうね」
平生よりも美しく見える少女の髪を手でなでて、
「先を久しく切らなかったね。今日は髪そぎによい日だろう」
源氏はこう言って、陰陽道《おんみょうどう》の調べ役を呼んでよい時間を聞いたりしながら、
「女房たちは先に出かけるといい」
と言っていた。きれいに装った童女たちを点見したが、少女らしくかわいくそろえて切られた髪の裾《すそ》が紋織の派手《はで》な袴《はかま》にかかっているあたりがことに目を惹《ひ》いた。
「女王《にょおう》さんの髪は私が切ってあげよう」
と言った源氏も、
「あまりたくさんで困るね。大人《おとな》になったらしまいにはどんなになろうと髪は思っているのだろう。」
前へ
次へ
全16ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
紫式部 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング