桐壺《きりつぼ》には女房がおおぜいいたから、主人が暁に帰った音に目をさました女もあるが、忍び歩きに好意を持たないで、
「いつもいつも、まあよくも続くものですね」
 という意味を仲間で肱《ひじ》や手を突き合うことで言って、寝入ったふうを装うていた。寝室にはいったが眠れない源氏であった。美しい感じの人だった。女御の妹たちであろうが、処女であったから五の君か六の君に違いない。太宰帥《だざいのそつ》親王の夫人や頭中将が愛しない四の君などは美人だと聞いたが、かえってそれであったらおもしろい恋を経験することになるのだろうが、六の君は東宮の後宮《こうきゅう》へ入れるはずだとか聞いていた、その人であったら気の毒なことになったというべきである。幾人もある右大臣の娘のどの人であるかを知ることは困難なことであろう。もう逢うまいとは思わぬ様子であった人が、なぜ手紙を往復させる方法について何ごとも教えなかったのであろうなどとしきりに考えられるのも心が惹《ひ》かれているといわねばならない。思いがけぬことの行なわれたについても、藤壺《ふじつぼ》にはいつもああした隙《すき》がないと、昨夜の弘徽殿《こきでん》のつけこみやすかったことと比較して主人《あるじ》の女御にいくぶんの軽蔑《けいべつ》の念が起こらないでもなかった。
 この日は後宴《ごえん》であった。終日そのことに携わっていて源氏はからだの閑暇《ひま》がなかった。十三|絃《げん》の箏《そう》の琴の役をこの日は勤めたのである。昨日の宴よりも長閑《のどか》な気分に満ちていた。中宮は夜明けの時刻に南殿へおいでになったのである。弘徽殿の有明《ありあけ》の月に別れた人はもう御所を出て行ったであろうかなどと、源氏の心はそのほうへ飛んで行っていた。気のきいた良清《よしきよ》や惟光《これみつ》に命じて見張らせておいたが、源氏が宿直所《とのいどころ》のほうへ帰ると、
「ただ今北の御門のほうに早くから来ていました車が皆人を乗せて出てまいるところでございますが、女御さん方の実家の人たちがそれぞれ行きます中に、四位少将、右中弁などが御前から下がって来てついて行きますのが弘徽殿の実家の方々だと見受けました。ただ女房たちだけの乗ったのでないことはよく知れていまして、そんな車が三台ございました」
 と報告をした。源氏は胸のとどろくのを覚えた。どんな方法によって何女《なにじょ》
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