と歌い、また、「霰雪白紛紛《さんせつはくふんぷん》、幼者形不蔽《えうしやはかたちをおおはず》」と吟じていたが、白楽天のその詩の終わりの句に鼻のことが言ってあるのを思って源氏は微笑された。頭中将があの自分の新婦を見たらどんな批評をすることだろう、何の譬喩《ひゆ》を用いて言うだろう、自分の行動に目を離さない人であるから、そのうちこの関係に気がつくであろうと思うと源氏は救われがたい気がした。女王が普通の容貌《きりょう》の女であったら、源氏はいつでもその人から離れて行ってもよかったであろうが、醜い姿をはっきりと見た時から、かえってあわれむ心が強くなって、良人《おっと》らしく、物質的の補助などもよくしてやるようになった。黒貂《ふるき》の毛皮でない絹、綾《あや》、綿、老いた女たちの着料になる物、門番の老人に与える物までも贈ったのである。こんなことは自尊心のある女には堪えがたいことに違いないが常陸《ひたち》の宮の女王はそれを素直に喜んで受けるのに源氏は安心して、せめてそうした世話をよくしてやりたいという気になり、生活費などものちには与えた。
 灯影《ほかげ》で見た空蝉《うつせみ》の横顔が美しいものではなかったが、姿態の優美さは十分の魅力があった。常陸《ひたち》の宮の姫君はそれより品の悪いはずもない身分の人ではないか、そんなことを思うと上品であるということは身柄によらぬことがわかる。男に対する洗練された態度、正義の観念の強さ、ついには負けて退却をしたなどと源氏は何かのことにつけて空蝉が思い出された。
 その年の暮れの押しつまったころに、源氏の御所の宿直所《とのいどころ》へ大輔《たゆう》の命婦《みょうぶ》が来た。源氏は髪を梳《す》かせたりする用事をさせるのには、恋愛関係などのない女で、しかも戯談《じょうだん》の言えるような女を選んで、この人などがよくその役に当たるのである。呼ばれない時でも大輔はそうした心安さからよく桐壺《きりつぼ》へ来た。
「変なことがあるのでございますがね。申し上げないでおりますのも意地が悪いようにとられることですし、困ってしまって上がったのでございます」
 微笑《ほほえみ》を見せながらそのあとを大輔は言わない。
「なんだろう。私には何も隠すことなんかない君だと思っているのに」
「いいえ、私自身のことでございましたら、もったいないことですがあなた様に御相談に上がって申し上げます。この話だけは困ってしまいました」
 なお言おうとしないのを、源氏は例のようにこの女がまた思わせぶりを始めたと見ていた。
「常陸の宮から参ったのでございます」
 こう言って命婦は手紙を出した。
「じゃ何も君が隠さねばならぬわけもないじゃないか」
 こうは言ったが、受け取った源氏は当惑した。もう古くて厚ぼったくなった檀紙《だんし》に薫香《くんこう》のにおいだけはよくつけてあった。ともかくも手紙の体《てい》はなしているのである。歌もある。

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唐衣《からごろも》君が心のつらければ袂《たもと》はかくぞそぼちつつのみ
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 何のことかと思っていると、おおげさな包みの衣裳箱《いしょうばこ》を命婦は前へ出した。
「これがきまり悪くなくてきまりの悪いことってございませんでしょう。お正月のお召《めし》にというつもりでわざわざおつかわしになったようでございますから、お返しする勇気も私にございません。私の所へ置いておきましても先様の志を無視することになるでしょうから、とにかくお目にかけましてから処分をいたすことにしようと思うのでございます」
「君の所へ留めて置かれたらたいへんだよ。着物の世話をしてくれる家族もないのだからね、御親切をありがたく受けるよ」
 とは言ったが、もう戯談《じょうだん》も口から出なかった。それにしてもまずい歌である。これは自作に違いない、侍従がおれば筆を入れるところなのだが、そのほかには先生はないのだからと思うと、その人の歌作に苦心をする様子が想像されておかしくて、
「もったいない貴婦人と言わなければならないのかもしれない」
 と言いながら源氏は微笑して手紙と贈り物の箱をながめていた。命婦は真赤《まっか》になっていた。臙脂《えんじ》の我慢のできないようないやな色に出た直衣《のうし》で、裏も野暮《やぼ》に濃い、思いきり下品なその端々が外から見えているのである。悪感を覚えた源氏が、女の手紙の上へ無駄《むだ》書きをするようにして書いているのを命婦が横目で見ていると、

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なつかしき色ともなしに何にこの末摘花《すゑつむはな》を袖《そで》に触れけん
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 色濃き花と見しかども、とも読まれた。花という字にわけがありそうだと、月のさし込んだ夜などに時々見た女王の顔を命婦
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