使っていた。左衛門の乳母は今は筑前守《ちくぜんのかみ》と結婚していて、九州へ行ってしまったので、父である兵部大輔の家を実家として女官を勤めているのである。常陸《ひたち》の太守であった親王(兵部大輔はその息《そく》である)が年をおとりになってからお持ちになった姫君が孤児になって残っていることを何かのついでに命婦が源氏へ話した。気の毒な気がして源氏は詳しくその人のことを尋ねた。
「どんな性質でいらっしゃるとか御容貌《ごきりょう》のこととか、私はよく知らないのでございます。内気なおとなしい方ですから、時々は几帳《きちょう》越しくらいのことでお話をいたします。琴《きん》がいちばんお友だちらしゅうございます」
「それはいいことだよ。琴と詩と酒を三つの友というのだよ。酒だけはお嬢さんの友だちにはいけないがね」
こんな冗談《じょうだん》を源氏は言ったあとで、
「私にその女王さんの琴の音《ね》を聞かせないか。常陸の宮さんは、そうした音楽などのよくできた方らしいから、平凡な芸ではなかろうと思われる」
と言った。
「そんなふうに思召《おぼしめ》してお聞きになります価値がございますか、どうか」
「思わせぶりをしないでもいいじゃないか。このごろは朧月《おぼろづき》があるからね、そっと行ってみよう。君も家《うち》へ退《さが》っていてくれ」
源氏が熱心に言うので、大輔の命婦は迷惑になりそうなのを恐れながら、御所も御用のひまな時であったから、春の日永《ひなが》に退出をした。父の大輔は宮邸には住んでいないのである。その継母の家へ出入りすることをきらって、命婦は祖父の宮家へ帰るのである。
源氏は言っていたように十六夜《いざよい》の月の朧《おぼ》ろに霞《かす》んだ夜に命婦を訪問した。
「困ります。こうした天気は決して音楽に適しませんのですもの」
「まあいいから御殿へ行って、ただ一声でいいからお弾《ひ》かせしてくれ。聞かれないで帰るのではあまりつまらないから」
と強《し》いて望まれて、この貴公子を取り散らした自身の部屋へ置いて行くことを済まなく思いながら、命婦が寝殿《しんでん》へ行ってみると、まだ格子《こうし》をおろさないで梅の花のにおう庭を女王はながめていた。よいところであると命婦は心で思った。
「琴の声が聞かせていただけましたらと思うような夜分でございますから、部屋を出てまいりました。私は
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