高官、殿上役人などの中の優秀な人が舞い人に選ばれていて、親王方、大臣をはじめとして音楽の素養の深い人はそのために新しい稽古《けいこ》を始めていた。それで源氏の君も多忙であった。北山の寺へも久しく見舞わなかったことを思って、ある日わざわざ使いを立てた。山からは僧都《そうず》の返事だけが来た。
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先月の二十日にとうとう姉は亡《な》くなりまして、これが人生の掟《おきて》であるのを承知しながらも悲しんでおります。
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 源氏は今さらのように人間の生命の脆《もろ》さが思われた。尼君が気がかりでならなかったらしい小女王はどうしているだろう。小さいのであるから、祖母をどんなに恋しがってばかりいることであろうと想像しながらも、自身の小さくて母に別れた悲哀も確かに覚えないなりに思われるのであった。源氏からは丁寧な弔慰品が山へ贈られたのである。そんな場合にはいつも少納言が行き届いた返事を書いて来た。
 尼君の葬式のあとのことが済んで、一家は京の邸《やしき》へ帰って来ているということであったから、それから少しあとに源氏は自身で訪問した。凄《すご》いように荒れた邸に小人数で暮らしているのであったから、小さい人などは怖《おそろ》しい気がすることであろうと思われた。以前の座敷へ迎えて少納言が泣きながら哀れな若草を語った。源氏も涙のこぼれるのを覚えた。
「宮様のお邸へおつれになることになっておりますが、お母様の御生前にいろんな冷酷なことをなさいました奥さまがいらっしゃるのでございますから、それがいっそずっとお小さいとか、また何でもおわかりになる年ごろになっていらっしゃるとかすればいいのでございますが、中途|半端《はんぱ》なお年で、おおぜいお子様のいらっしゃる中で軽い者にお扱われになることになってはと、尼君も始終それを苦労になさいましたが、宮様のお内のことを聞きますと、まったく取り越し苦労でなさそうなんでございますから、あなた様のお気まぐれからおっしゃってくださいますことも、遠い将来にまでにはたとえどうなりますにしましても、お救いの手に違いないと私どもは思われますが、奥様になどとは想像も許されませんようなお子供らしさでございまして、普通のあの年ごろよりももっともっと赤様《あかさま》なのでございます」
 と少納言が言った。
「そんなことはどうでもいいじゃありませんか、私が繰り返し繰り返しこれまで申し上げてあることをなぜ無視しようとなさるのですか。その幼稚な方を私が好きでたまらないのは、こればかりは前生《ぜんしょう》の縁に違いないと、それを私が客観的に見ても思われます。許してくだすって、この心持ちを直接女王さんに話させてくださいませんか。

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あしわかの浦にみるめは難《かた》くともこは立ちながら帰る波かは
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 私をお見くびりになってはいけません」
 源氏がこう言うと、
「それはもうほんとうにもったいなく思っているのでございます。

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寄る波の心も知らで和歌の浦に玉藻《たまも》なびかんほどぞ浮きたる
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 このことだけは御信用ができませんけれど」
 物|馴《な》れた少納言の応接のしように、源氏は何を言われても不快には思われなかった。「年を経てなど越えざらん逢坂《あふさか》の関」という古歌を口ずさんでいる源氏の美音に若い女房たちは酔ったような気持ちになっていた。女王は今夜もまた祖母を恋しがって泣いていた時に、遊び相手の童女が、
「直衣《のうし》を着た方が来ていらっしゃいますよ。宮様が来ていらっしゃるのでしょう」
 と言ったので、起きて来て、
「少納言、直衣着た方どちら、宮様なの」
 こう言いながら乳母《めのと》のそばへ寄って来た声がかわいかった。これは父宮ではなかったが、やはり深い愛を小女王に持つ源氏であったから、心がときめいた。
「こちらへいらっしゃい」
 と言ったので、父宮でなく源氏の君であることを知った女王は、さすがにうっかりとしたことを言ってしまったと思うふうで、乳母のそばへ寄って、
「さあ行こう。私は眠いのだもの」
 と言う。
「もうあなたは私に御遠慮などしないでもいいんですよ。私の膝《ひざ》の上へお寝《やす》みなさい」
 と源氏が言った。
「お話しいたしましたとおりでございましょう。こんな赤様なのでございます」
 乳母に源氏のほうへ押し寄せられて、女王はそのまま無心にすわっていた。源氏が御簾《みす》の下から手を入れて探ってみると柔らかい着物の上に、ふさふさとかかった端の厚い髪が手に触れて美しさが思いやられるのである。手をとらえると、父宮でもない男性の近づいてきたことが恐ろしくて、
「私、眠いと言っているのに」
 と言っ
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