、
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嵐《あらし》吹く尾上《をのへ》のさくら散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ
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こちらこそたよりない気がいたします。
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というのが尼君からの返事である。僧都の手紙にしるされたことも同じようであったから源氏は残念に思って二、三日たってから惟光《これみつ》を北山へやろうとした。
「少納言《しょうなごん》の乳母《めのと》という人がいるはずだから、その人に逢《あ》って詳しく私のほうの心持ちを伝えて来てくれ」
などと源氏は命じた。どんな女性にも関心を持つ方だ、姫君はまだきわめて幼稚であったようだのにと惟光は思って、真正面から見たのではないが、自身がいっしょに隙見《すきみ》をした時のことを思ってみたりもしていた。
今度は五位の男を使いにして手紙をもらったことに僧都は恐縮していた。惟光は少納言に面会を申し込んで逢った。源氏の望んでいることを詳しく伝えて、そのあとで源氏の日常の生活ぶりなどを語った。多弁な惟光は相手を説得する心で上手《じょうず》にいろいろ話したが、僧都も尼君も少納言も稚《おさな》い女王への結婚の申し込みはどう解釈すべきであろうとあきれているばかりだった。手紙のほうにもねんごろに申し入れが書かれてあって、
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一つずつ離してお書きになる姫君のお字をぜひ私に見せていただきたい。
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ともあった。例の中に封じたほうの手紙には、
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浅香山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらん
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この歌が書いてある。返事、
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汲《く》み初《そ》めてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見すべき
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尼君が書いたのである。惟光《これみつ》が聞いて来たのもその程度の返辞であった。
「尼様の御容体が少しおよろしくなりましたら京のお邸《やしき》へ帰りますから、そちらから改めてお返事を申し上げることにいたします」
と言っていたというのである。源氏はたよりない気がしたのであった。
藤壺の宮が少しお病気におなりになって宮中から自邸へ退出して来ておいでになった。帝《みかど》が日々恋しく思召《おぼしめ》す御様子に源氏は同情しながらも、稀《まれ》にしかないお実家《さと》住まいの機会をとらえないではまたいつ恋しいお顔が見られるかと夢中になって、それ以来どの恋人の所へも行かず宮中の宿直所《とのいどころ》ででも、二条の院ででも、昼間は終日物思いに暮らして、王命婦《おうみょうぶ》に手引きを迫ることのほかは何もしなかった。王命婦がどんな方法をとったのか与えられた無理なわずかな逢瀬《おうせ》の中にいる時も、幸福が現実の幸福とは思えないで夢としか思われないのが、源氏はみずから残念であった。宮も過去のある夜の思いがけぬ過失の罪悪感が一生忘れられないもののように思っておいでになって、せめてこの上の罪は重ねまいと深く思召したのであるのに、またもこうしたことを他動的に繰り返すことになったのを悲しくお思いになって、恨めしいふうでおありになりながら、柔らかな魅力があって、しかも打ち解けておいでにならない最高の貴女の態度が美しく思われる源氏は、やはりだれよりもすぐれた女性である、なぜ一所でも欠点を持っておいでにならないのであろう、それであれば自分の心はこうして死ぬほどにまで惹《ひ》かれないで楽であろうと思うと源氏はこの人の存在を自分に知らせた運命さえも恨めしく思われるのである。源氏の恋の万分の一も告げる時間のあるわけはない。永久の夜が欲《ほ》しいほどであるのに、逢わない時よりも恨めしい別れの時が至った。
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見てもまた逢《あ》ふ夜|稀《まれ》なる夢の中《うち》にやがてまぎるるわが身ともがな
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涙にむせ返って言う源氏の様子を見ると、さすがに宮も悲しくて、
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世語りに人やつたへん類《たぐ》ひなく憂《う》き身をさめぬ夢になしても
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とお言いになった。宮が煩悶《はんもん》しておいでになるのも道理なことで、恋にくらんだ源氏の目にももったいなく思われた。源氏の上着などは王命婦がかき集めて寝室の外へ持ってきた。源氏は二条の院へ帰って泣き寝に一日を暮らした。手紙を出しても、例のとおり御覧にならぬという王命婦の返事以外には得られないのが非常に恨めしくて、源氏は御所へも出ず二、三日引きこもっていた。これをまた病気のように解釈あそばして帝がお案じになるに違いないと思うともったいなく空恐ろしい気ばかりがされるのであった。
宮も御自身の運命をお歎《なげ》きになって煩悶が続き、そのために御病気の
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