毒なお話ですね。その方には忘れ形見がなかったのですか」
なお明確に少女のだれであるかを知ろうとして源氏は言うのである。
「亡くなりますころに生まれました。それも女です。その子供が姉の信仰生活を静かにさせません。姉は年を取ってから一人の孫娘の将来ばかりを心配して暮らしております」
聞いている話に、夕方見た尼君の涙を源氏は思い合わせた。
「妙なことを言い出すようですが、私にその小さいお嬢さんを、託していただけないかとお話ししてくださいませんか。私は妻について一つの理想がありまして、ただ今結婚はしていますが、普通の夫婦生活なるものは私に重荷に思えまして、まあ独身もののような暮らし方ばかりをしているのです。まだ年がつり合わぬなどと常識的に判断をなすって、失礼な申し出だと思召《おぼしめ》すでしょうか」
と源氏は言った。
「それは非常に結構なことでございますが、まだまだとても幼稚なものでございますから、仮にもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。まあ女というものは良人《おっと》のよい指導を得て一人前になるものなのですから、あながち早過ぎるお話とも何とも私は申されません。子供の祖母と相談をいたしましてお返辞をするといたしましょう」
こんなふうにてきぱき言う人が僧形《そうぎょう》の厳《いか》めしい人であるだけ、若い源氏には恥ずかしくて、望んでいることをなお続けて言うことができなかった。
「阿弥陀《あみだ》様がいらっしゃる堂で用事のある時刻になりました。初夜の勤めがまだしてございません。済ませましてまた」
こう言って僧都は御堂《みどう》のほうへ行った。
病後の源氏は気分もすぐれなかった。雨がすこし降り冷ややかな山風が吹いてそのころから滝の音も強くなったように聞かれた。そしてやや眠そうな読経《どきょう》の声が絶え絶えに響いてくる、こうした山の夜はどんな人にも物悲しく寂しいものであるが、まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、眠ることはできないのであった。初夜だと言ったが実際はその時刻よりも更《ふ》けていた。奥のほうの室にいる人たちも起きたままでいるのが気配《けはい》で知れていた。静かにしようと気を配っているらしいが、数珠《じゅず》が脇息《きょうそく》に触れて鳴る音などがして、女の起居《たちい》の衣摺《きぬず》れもほのかになつかしい音に耳へ通ってくる。貴族的なよい感じである。
源氏はすぐ隣の室でもあったからこの座敷の奥に立ててある二つの屏風《びょうぶ》の合わせ目を少し引きあけて、人を呼ぶために扇を鳴らした。先方は意外に思ったらしいが、無視しているように思わせたくないと思って、一人の女が膝行《いざり》寄って来た。襖子《からかみ》から少し遠いところで、
「不思議なこと、聞き違えかしら」
と言うのを聞いて、源氏が、
「仏の導いてくださる道は暗いところもまちがいなく行きうるというのですから」
という声の若々しい品のよさに、奥の女は答えることもできない気はしたが、
「何のお導きでございましょう、こちらでは何もわかっておりませんが」
と言った。
「突然ものを言いかけて、失敬だとお思いになるのはごもっともですが、
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初草の若葉の上を見つるより旅寝の袖《そで》も露ぞ乾《かわ》かぬ
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と申し上げてくださいませんか」
「そのようなお言葉を頂戴《ちょうだい》あそばす方がいらっしゃらないことはご存じのようですが、どなたに」
「そう申し上げるわけがあるのだとお思いになってください」
源氏がこう言うので、女房は奥へ行ってそう言った。
まあ艶《えん》な方らしい御挨拶である、女王《にょおう》さんがもう少し大人になっているように、お客様は勘違いをしていられるのではないか、それにしても若草にたとえた言葉がどうして源氏の耳にはいったのであろうと思って、尼君は多少不安な気もするのである。しかし返歌のおそくなることだけは見苦しいと思って、
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「枕《まくら》結《ゆ》ふ今宵《こよひ》ばかりの露けさを深山《みやま》の苔《こけ》にくらべざらなん
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とてもかわく間などはございませんのに」
と返辞をさせた。
「こんなお取り次ぎによっての会談は私に経験のないことです。失礼ですが、今夜こちらで御厄介《ごやっかい》になりましたのを機会にまじめに御相談のしたいことがございます」
と源氏が言う。
「何をまちがえて聞いていらっしゃるのだろう。源氏の君にものを言うような晴れがましいこと、私には何もお返辞なんかできるものではない」
尼君はこう言っていた。
「それでも冷淡なお扱いをするとお思いになるでございましょうから」
と言って、人々は尼君の出るのを勧めた。
「そうだね、
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