ルトの孫女を配偶者に迎へるまで、過渡的維新史の数奇な裏面史であつた。
 大阪に客死した当時の墓碑は、諸淵の甥三瀬彦之進によつて、現に大洲町大禅寺に移されてゐる。その墓碑を守りて、なほ生けるに仕ふる如き彦之進氏も、洋学を志して古武士の風を存した諸淵没後を辱かしめざる、洒脱朴訥の士、現に大洲名物第一者であるのを奇とする。
 香渡氏に関しては、他日又記することもあらう。前日大洲に至る途中、その生家を訪問して、遺族諸氏に面接した。岩倉公と往復の信書なほ幾多現存する。思ふに、貴重な維新史料でなければならない。

 八幡浜《やわたはま》町は、山中でありながら又海岸である、天賦の港湾である。深く湾入した海には、港口を扼する佐島がある。自から風波を防いで、南予の要港となつた。されば維新時代一漁村に過ぎなかつた寒村が、今や豪富軒を列ぶる殷盛を極めてゐる。昨今天下を支配する生繭相場も、この地の出来値を一基とするともいふ。
 神代遺跡をもつて誇る大洲との間に「夜昼峠」がある。彼は東陽、これは西陰、彼は上古史、これは近代史、原始と新進の対照、「夜昼峠」は正に的確な名詮自称である。
 川之石町にも遊んで、天下第三位を占めるといふ蚕種製造所を一見することを得た。
 さうして両地とも、土地特有の枇杷に親しんで、連日陰うつな梅雨日和を、しかも清爽な気持で過ごした。敢て白氏の琵琶行に擬する所以ではない。徒らに吐くべき核子の多きを恥ぢるのみである。



底本:「現代日本紀行文学全集 南日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行
※この作品は、1929(昭和4)年7月に執筆された。
※「垂迩」は、校正に使用した1983(昭和58)年12月1日第4刷に従って、「垂迹」にあらためました。
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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