皆そうであろうが、明らかに火の芸術は腕ばかりではどうにもならぬ。そこへ天覧という大きなことがかぶさって来ては! そこへまた予感という妖《あや》しいことが湧上《わきあが》っては! 鳴呼《ああ》、若崎が苦しむのも無理は無い。と思った。が、この男はまだ芸術家になりきらぬ中、香具師《やし》一流の望《のぞみ》に任《まか》せて、安直に素張《すば》らしい大仏を造ったことがある。それも製作技術の智慧からではあるが、丸太《まるた》を組み、割竹《わりだけ》を編み、紙を貼《は》り、色を傅《つ》けて、インチキ大仏のその眼の孔《あな》から安房《あわ》上総《かずさ》まで見ゆるほどなのを江戸《えど》に作ったことがある。そういう質《たち》の智慧のある人であるから、今ここにおいて行詰まるような意気地無《いくじな》しではなかった。先輩として助言した。
「君、なるほど火の芸術は厄介《やっかい》だ。しかしここに道はある。どうです、鵞鳥だからむずかしいので。蟾蜍《ひきがえる》と改題してはどんなものでしょう。昔《むかし》から蟾蜍の鋳物は古い水滴《すいてき》などにもある。醜《みにく》いものだが、雅はあるものだ。あれなら熔金《ゆ》の断《き》れるおそれなどは少しも無くて済む。」
好意からの助言には相違無いが、若崎は侮辱《ぶじょく》されたように感じでもしたか、
「いやですナア蟾蜍は。やっぱり鵞鳥で苦《くるし》みましょうヨ。」
と、悲しげにまた何だか怨《うら》みっぽく答えた。
「そんなに鵞鳥に貼《つ》くこともありますまい。」
「イヤ、君だってそうでしょうが、題は自然に出て来るもので、それと定《き》まったら、もうわたしには棄《す》てきれませぬ。逃《に》げ道のために蝦蟇《がま》の術をつかうなんていう、忍術《にんじゅつ》のようなことは私には出来ません。進み進んで、出来る、出来ない、成就《じょうじゅ》不成就の紙|一重《ひとえ》の危《あやう》い境《さかい》に臨んで奮《ふる》うのが芸術では無いでしょうか。」
「そりゃそういえば確にそうだが、忍術だって入※[#小書き片仮名ト、1−6−81]用のものだから世に伊賀流《いがりゅう》も甲賀流《こうがりゅう》もある。世間には忍術使いの美術家もなかなか多いよ。ハハハ。」
「御前製作ということでさえ無ければ、少しも屈托《くったく》は有りませんがナア。同じ火の芸術の人で陶工《とうこう》の愚斎《ぐさい》は、自分の作品を窯《かま》から取出す、火のための出来損じがもとより出来る、それは一々取っては抛《な》げ、取っては抛げ、大地へたたきつけて微塵《みじん》にしたと聞いています。いい心持の話じゃありませんか。」
「ムム、それで六兵衛《ろくべえ》一家《いっか》の基《もとい》を成したというが、あるいはマアお話じゃ無いかネ。」
「ところが御前で敲《たた》き毀《こわ》すようなものを作ってはなりませぬ、是非とも気の済《す》むようなものを作ってご覧をいただかねばなりませぬ。それが果して成るか成らぬか。そこに脊骨《せぼね》が絞《しぼ》られるような悩《なや》みが……」
「ト云うと天覧を仰《あお》ぐということが無理なことになるが、今更|野暮《やぼ》を云っても何の役にも立たぬ。悩むがよいサ。苦むがよいサ。」
と断崖《だんがい》から取って投げたように言って、中村は豪然《ごうぜん》として威張った。
若崎は勃然《むっ》として、
「知れたことサ。」
と見かえした。身体中に神経がピンと緊《きび》しく張ったでもあるように思われて、円味《まるみ》のあるキンキン声はその音ででも有るかと聞えた。しかしまたたちまちグッタリ沈んだ態《てい》に反《かえ》って、
「火はナア、……火はナア……」
と独《ひと》り言《ご》った。スルト中村は背を円くし頭《かしら》を低くして近々と若崎に向い、声も優しく細くして、
「火の芸術、火の芸術と君は云うがネ。何の芸術にだって厄介なところはきっと有る。僕の木彫《もくちょう》だって難関は有る。せっかくだんだんと彫上《ほりあ》げて行って、も少しで仕上《しあげ》になるという時、木の事だから木理《もくめ》がある、その木理のところへ小刀《こがたな》の力が加わる。木理によって、薄《うす》いところはホロリと欠けぬとは定まらぬ。たとえば矮鶏《ちゃぼ》の尾羽《おは》の端《はし》が三|分《ぶ》五分欠けたら何となる、鶏冠《とさか》の蜂《みね》の二番目三番目が一分二分欠けたら何となる。もう繕《つくろ》いようもどうしようも無い、全く出来損じになる。材料も吟味《ぎんみ》し、木理も考え、小刀も利味《ききあじ》を善《よ》くし、力加減も気をつけ、何から何まで十二分に注意し、そして技《わざ》の限りを尽《つく》して作をしても、木の理《め》というものは一々に異《ちが》う、どんなところで思いのほかにホロリと欠けぬものでは無い。君の熔金《ゆ》の廻りがどんなところで足る足らぬが出来るのも同じことである。万一|異《い》なところから木理がハネて、釣合《つりあい》を失えば、全体が失敗になる。御前でそういうことがあれば、何とも仕様は無いのだ。自分の不面目はもとより、貴人のご不興も恐多いことでは無いか。」
ここまで説かれて、若崎は言葉も出せなくなった。何の道にも苦《くるし》みはある。なるほど木理は意外の業《わざ》をする。それで古来木理の無いような、粘《ねば》りの多い材、白檀《びゃくだん》、赤檀《しゃくだん》の類を用いて彫刻《ちょうこく》するが、また特に杉檜《すぎひのき》の類、刀《とう》の進みの早いものを用いることもする。御前彫刻などには大抵《たいてい》刀の進み易《やす》いものを用いて短時間に功を挙《あ》げることとする。なるほど、火、火とのみ云って、火の芸術のみを難儀《なんぎ》のもののように思っていたのは浅はかであったと悟った。
「なるほど。何の道にも苦しい瀬戸《せと》はある。有難い。お蔭で世界を広くしました。」
と心からしみじみ礼を云って頭《かしら》を畳《たたみ》へすりつけた。中村も悦《よろこ》ばしげに謝意を受けた。
「ところで若崎さん、御前細工というものは、こういう難儀なものなのに相違無いが、木彫その他の道において、御前細工に不首尾のあったことはかつて無い。徳川《とくがわ》時代、諸大名《しょだいみょう》の御前で細工事《さいくごと》ご覧に入れた際、一度でも何の某《なにがし》があやまちをしてご不興を蒙《こうむ》ったなどということは聞いたことが無い。君はどう思う。わかりますか。」
これには若崎はまた驚《おどろ》かされた。
「一度もあやまちは無かった!」
「さればサ。功名《こうみょう》手柄《てがら》をあらわして賞美を得た話は折々あるが、失敗した談はかつて無い。」
自分は今天覧の場合の失敗を恐れて骨を削《けず》り腸《はらわた》を絞《しぼ》る思をしているのである。それに何と昔からさような場合に一度のあやまちも無かったとは。
「ムーッ。」
と若崎は深い深い考に落ちた。心は光りの飛ぶごとくにあらゆる道理の中を駈巡《かけめぐ》ったが、何をとらえることも出来無かった。ただわずかに人の真心――誠《まこと》というものの一切に超越《ちょうえつ》して霊力《れいりょく》あるものということを思い得て、
「一心の誠というものは、それほどまでに強いものでしょうかナア。」
と真顔になって尋ねた。中村はニヤリと笑った。
「誠はもとより尊《たっと》い。しかし準備もまた尊いよ。」
若崎には解釈出来なかった。
「竜《りゅう》なら竜、虎《とら》なら虎の木彫をする。殿様《とのさま》御前《ごぜん》に出て、鋸《のこぎり》、手斧《ちょうな》、鑿《のみ》、小刀を使ってだんだんとその形を刻《きざ》み出《いだ》す。次第に形がおよそ分明になって来る。その間には失敗は無い。たとい有ったにしても、何とでも作意を用いて、失敗の痕《あと》を無くすことが出来る。時刻が相応に移る。いかに物好な殿にせよ長くご覧になっておらるる間には退屈《たいくつ》する。そこで鱗《うろこ》なら鱗、毛なら毛を彫って、同じような刀法を繰返《くりかえ》す頃になって、殿にご休息をなさるよう申す。殿は一度お入りになってお茶など召させらるる。準備が尊いのはここで。かねて十分に作りおいたる竜なら竜、虎なら虎をそこに置き、前の彫りかけを隠《かく》しおく。殿|復《ふたた》びお出ましの時には、小刀を取って、危気《あぶなげ》無きところを摩《な》ずるように削り、小々《しょうしょう》の刀屑《かたなくず》を出し、やがて成就の由《よし》を申し、近々ご覧に入るるのだ。何の思わぬあやまちなどが出来よう。ハハハ。すりかえの謀計《ぼうけい》である。君の鋳物などは最後は水桶《みずおけ》の中で型の泥《どろ》を割って像を出すのである。準備さえ水桶の中に致しておけば、容易に至難《しなん》の作品でも現わすことが出来る。もとより同人の同作、いつわり、贋物《がんぶつ》を現わすということでは無い。」
と低い声で細々《こまごま》と教えてくれた。若崎は唖然《あぜん》として驚いた。徳川期にはなるほどすべてこういう調子の事が行われたのだなと暁《さと》って、今更ながら世の清濁《せいだく》の上に思を馳《は》せて感悟《かんご》した。
「有難うございました。」
と慄《ふる》えた細い声で感謝した。
その夜若崎は、「もう失敗しても悔《く》いない。おれは昔の怜悧者《りこうもの》ではない。おれは明治《めいじ》の人間だ。明治の天子様は、たとえ若崎が今度失敗しても、畢竟《ひっきょう》は認《みと》めて下さることを疑わない」と、安心《あんしん》立命《りつめい》の一境地に立って心中に叫んだ。
○
天皇《てんのう》は学校に臨幸《りんこう》あらせられた。予定のごとく若崎の芸術をご覧あった。最後に至って若崎の鵞鳥は桶の水の中から現われた。残念にも雄の鵞鳥の頸は熔金《ゆ》のまわりが悪くて断《き》れていた。若崎は拝伏《はいふく》して泣いた。供奉《ぐぶ》諸官、及び学校諸員はもとより若崎のあの夜の心の叫《さけ》びを知ろうようは無かった。
しかし、天恩|洪大《こうだい》で、かえって芸術の奥には幽眇《ゆうびょう》不測なものがあることをご諒知《りょうち》下された。正直な若崎はその後しばしば大なるご用命を蒙り、その道における名誉《めいよ》を馳《は》するを得た。
[#地から1字上げ](昭和十四年十二月)
底本:「ちくま日本文学全集 幸田露伴」筑摩書房
1992(平成4)年3月20日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集」岩波書店
入力:林 幸雄
校正:門田裕志
2002年12月5日作成
2004年7月8日修正
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