奇《れいき》だ。その火のはたらきをくぐって僕等の芸術は出来る。それを何ということだ。鋳金《ちゅうきん》の工作|過程《かてい》を実地にご覧に入れ、そして最後には出来上ったものを美術として美術学校から献上《けんじょう》するという。そううまく行くべきものだか、どうだか。むかしも今も席画というがある、席画に美術を求めることの無理で愚《ぐ》なのは今は誰しも認《みと》めている。席上鋳金に美術を求める、そんな分らない校長ではないと思っていたが、校長には校長の考えもあろうし、鋳金はたとい蝋型《ろうがた》にせよ純粋美術とは云い難いが、また校長には把掖《はえき》誘導《ゆうどう》啓発《けいはつ》抜擢《ばってき》、あらゆる恩《おん》を受けているので、実はイヤだナアと思ったけれども枉《ま》げて従った。この心持がせめて君には分ってもらいたいのだが……」
と、中頃は余り言いすごしたと思ったので、末にはその意を濁《にご》してしまった。言ったとて今更どうなることでも無いので、図に乗って少し饒舌《しゃべ》り過ぎたと思ったのは疑いも無い。
 中村は少し凹《へこ》まされたかども有るが、この人は、「肉の多きや刃《やいば》その骨に及《およ》ばず」という身体《からだ》つきの徳《とく》を持っている、これもなかなかの功《こう》を経ているものなので、若崎の言葉の中心にはかまわずに、やはり先輩ぶりの態度を崩《くず》さず、
「それで家《うち》へ帰って不機嫌だったというのなら、君はまだ若過ぎるよ。議論みたようなことは、あれは新聞屋や雑誌屋《ざっしや》の手合にまかせておくサ。僕等は直接に芸術の中に居るのだから、塀《へい》の落書《らくがき》などに身を入れて見ることは無いよ。なるほど火の芸術と君は云うが、最後の鋳《い》るという一段だけが君の方は多いネ。ご覧に入れるには割が悪い。」
と打解けて同情し、場合によったら助言でも助勢でもしてやろうという様子だ。
「イヤ割が悪いどころでは無い、熔金《ゆ》を入れるその時に勝負が着くのだからネ。機嫌が甚《ひど》く悪いように見えたのは、どういうものだか、帰りの道で、吾家《うち》が見えるようになってフト気中《きあた》りがして、何だか今度の御前製作は見事に失敗するように思われ出して、それで一倍|鬱屈《うっくつ》したので。」
「気アタリという奴《やつ》は厭なものだネ。わたしも若い時分には時々そういうおぼえがあったが。ナーニ必ず中るとばかりでも無いものだよ。今度の仏像《ぶつぞう》は御首《みぐし》をしくじるなんと予感して大《おおき》にショゲていても、何のあやまちも無く仕上って、かえって褒《ほ》められたことなんぞもありました。そう気にすることも無いものサ。」
と云いかけて、ちょっと考え、
「いったい、何を作ろうと思いなすったのか、まだ未定なのですか。」
と改まったように尋《たず》ねた。
「それが奇妙《きみょう》で、学校の門を出るとすぐに題が心に浮んで、わずかの道の中ですっかり姿《すがた》が纏《まと》まりました。」
「何を……どんなものを。」
「鵞鳥《がちよう》を。二|羽《わ》の鵞鳥を。薄い平《ひら》めな土坡《どば》の上に、雄《おす》の方は高く首を昂《あ》げてい、雌《めす》はその雄に向って寄って行こうとするところです。無論小さく、写生風《しゃせいふう》に、鋳膚《いはだ》で十二分に味を見せて、そして、思いきり伸《の》ばした頸《くび》を、伸ばしきった姿の見ゆるように随分《ずいぶん》細く」
と話すのを、こっちも芸術家だ、眼をふさいで瞑想《めいそう》しながら聴いていると、ありありとその姿が前に在るように見えた。そしてまだ話をきかぬ雌までも浮いて見えたので、
「雌の方の頸はちょいと一※[#小書き片仮名ト、1−6−81]うねりしてネ、そして後足の爪《つめ》と踵《かかと》とに一※[#小書き片仮名ト、1−6−81]工夫がある。」
というと、不思議にも言い中《あ》てられたので、
「ハハハ、その通りその通り。」
と主人は爽《さわ》やかに笑った。が、その笑声の終らぬ中《うち》に、客はフト気中りがして、鵞鳥が鋳損《いそん》じられた場合を思った。デ、好い図ですネ、と既に言おうとしたのを呑《の》んでしまった。
 主人は、
「気中りがしてもしなくても構いませんが、ただ心配なのは御前ですからな。せっかくご天覧いただいているところで失敗しては堪《たま》りませんよ。と云って火のわざですから、失敗せぬよう理詰《りづ》めにはしますが、その時になって土を割ってみない中は何とも分りません。何だか御前で失敗するような気がすると、居ても立っても居られません。」
 中村は今|現《げん》に自分にも変な気がしたのであったから、主人に同情せずにはいられなくなった。なるほど火の芸術は! 一切《いっさい》芸術の極致《きょくち》は
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