の苦酸《くさん》を嘗《な》めた男であったから、そういう感じが起ると同時にドッコイと踏止《ふみとど》まることを知っているので、反撃的《はんげきてき》の言葉などを出すに至るべき無益と愚《ぐ》との一歩手前で自ら省みた。
「ヤ、あの鶏《にわとり》は実に見事に出来ましたネ。私もあの鶏のような作がきっと出来るというのなら、イヤも鉄砲《てっぽう》も有りはしなかったのですがネ。」
と謙遜《けんそん》の布袋《ぬのぶくろ》の中へ何もかも抛《ほう》り込んでしまう態度を取りにかかった。世の中は無事でさえあれば好《い》いというのなら、これでよかったのだ。しかし若崎のこの答は、どうしても、何か有るのを露《あら》わすまいとしているのであると感じられずにはいない。
「きっと出来るよ。君の腕《うで》だからナ。」
と軽い言葉だ。善意の奨励《しょうれい》だ。赤剥《あかむ》きに剥いて言えば、世間に善意の奨励ほどウソのものは無い。悪意の非難がウソなら、善意の奨励もウソである。真実は意の無いところに在る。若崎は徹底《てってい》してオダテとモッコには乗りたくないと平常《いつも》思っている。客のこの言葉を聞くとブルッとするほど厭《いや》だった。ウソにいじりまわされている芸術ほどケチなものは無いと思っているからである。で、思わず知らず鼻のさきで笑うような調子に、
「腕なんぞで、君、何が出来るかネ。僕等《ぼくら》よりズット偉《えら》い人だって、腕なんかがアテになるものじゃあるまい。」
と云った。何かが破裂《はれつ》したのだ。客はギクリとしたようだったが、さすがは老骨《ろうこつ》だ。禅宗《ぜんしゅう》の味噌《みそ》すり坊主《ぼうず》のいわゆる脊梁骨《せきりょうこつ》を提起《ていき》した姿勢《しせい》になって、
「そんな無茶なことを云い出しては人迷《ひとまよ》わせだヨ。腕で無くって何で芸術が出来る。まして君なぞ既《すで》にいい腕になっているのだもの、いよいよ腕を磨《みが》くべしだネ。」
 戦闘《せんとう》が開始されたようなものだ。
「イヤ腕を磨くべきはもとよりだが、腕で芸術が出来るものではない。芸術は出来るもので、こしらえるものでは無さそうだ。君の方ではこしらえとおせるかも知れないが、僕の方や窯業《ようぎょう》の方の、火の芸術にたずさわるものは、おのずと、芸術は出来るものであると信じがちだ。火のはたらきは神秘《しんぴ》霊
前へ 次へ
全15ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング