《ゆる》く払《はら》いながら、逼《せま》らぬ気味合《きみあい》で眼のまわりに皺《しわ》を湛《たた》えつつも、何か話すところは実に堂々として、どうしても兄分である。そしてまたこの家《や》の主人に対して先輩《せんぱい》たる情愛と貫禄《かんろく》とをもって臨んでいる綽々《しゃくしゃく》として余裕《よゆう》ある態度は、いかにもここの細君をしてその来訪を需《もと》めさせただけのことは有る。これに対座している主人は痩形《やせがた》小づくりというほどでも無いが対手《あいて》が対手だけに、まだ幅《はば》が足らぬように見える。しかしよしや大智深智《だいちしんち》でないまでも、相応に鋭《するど》い智慧《ちえ》才覚が、恐《おそ》ろしい負けぬ気を後盾《うしろだて》にしてまめに働き、どこかにコッツリとした、人には決して圧潰《おしつぶ》されぬもののあることを思わせる。
客は無雑作《むぞうさ》に、
「奥さん。トいう訳だけで、ほかに何があったのでも無いのですから、まわり気《ぎ》の苦労はなさらないでいいのですヨ。おめでたいことじゃありませんかネ、ハハハ。」
と朗《ほがら》かに笑った。ここの細君は今はもう暗雲を一掃《いっそう》されてしまって、そこは女だ、ただもう喜びと安心とを心配の代りに得て、大風《たいふう》の吹《ふ》いた後の心持で、主客の間の茶盆《ちゃぼん》の位置をちょっと直しながら、軽く頭《かしら》を下げて、
「イエもう、業《わざ》の上の工夫《くふう》に惚《ほ》げていたと解りますれば何のこともございません。ホントにこの人は今までに随分こんなこともございましたッけ。」
と云った。客と主人との間の話で、今日学校で主人が校長から命ぜられた、それは一週間ばかり後に天子様が学校へご臨幸《りんこう》下さる、その折に主人が御前《ごぜん》で製作をしてご覧《らん》に入れるよう、そしてその製品を直《ただち》に、学校から献納《けんのう》し、お持帰りいただくということだったのが、解ったのであった。それで主人の真面目顔をしていたのは、その事に深く心を入れていたためで、別にほかに何があったのでもない、と自然に分明《ぶんみょう》したから、細君は憂《うれい》を転《てん》じて喜と為《な》し得た訳だったが、それも中村さんが、チョクに遊びに来られたお蔭《かげ》で分ったと、上機嫌になったのであった。
女は上機嫌になると、とかくに下ら
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