は餌で釣るのだからネ。
少年はまた二匹ばかり着け足した。
今まで何処《どこ》で釣っていたのだい、此処《ここ》は浮子釣りなんぞでは巧《うま》く行かない場だよ。
今までは奥戸の池で釣ってたよ、昨日《きのう》も一昨日《おととい》も。
釣れたかい。
ああ、鮒《ふな》が七、八匹。
奥戸というのは対岸で、なるほどそこには浮子釣に適すべき池があることを自分も知っていた。しかし今時分の鮒を釣っても、それが釣という遊びのためでなくって何の意味を為そう。桜の花頃から菊の花過ぎまでの間の鮒は全く仕方のないものである。自分には合点が行かなかったから、
遊びじゃないように先刻《さっき》お言いだったが、今の鮒なんか何にもなりはしない、やっぱり遊びじゃないか。
というと、少年は急に悲しそうな顔をして気色《けしき》を曇らせたが、
でも僕には鮒のほかのものは釣れそうに思えなかったからネ。お相撲《すもう》さんの舟に無銭《ただ》で乗せてもらって往還《ゆきかえ》りして彼処《あすこ》で釣ったのだよ。
無銭《ただ》で乗せてもらっての一語は偶然にその実際を語ったのだろうが、自分の耳に立って聞えた。お相撲さんというのは、当時奥戸の渡船守《わたしもり》をしていた相撲|上《あが》りの男であったのである。少年の談《はなし》の中には裏面に何か存していることが明白に知られた。
そうかい。そしてまた今日はどうして此処《ここ》へ来たのだい。
だってせっかく釣って帰っても、今|小父《おじ》さんの言った通りにネ、昨日《きのう》は、こんな鮒なんか不味《まず》くて仕様がない、も少し気の利いた魚でも釣って来いって叱られたのだもの。
誰に。
お母《っか》さんに。
じゃお母《っか》さんに吩咐《いいつけ》られて釣に出ているのかい。
アア。下《くだ》らなく遊んでいるより魚でも釣って来いッてネ。僕下らなく遊んでいたんじゃない、学校の復習や宿題なんかしていたんだけれど。
ここに至って合点が出来た。油然《ゆうぜん》として同情心が現前《まのあたり》の川の潮のように突掛《つっか》けて来た。
ムムウ。ほんとのお母《っか》さんじゃないネ。
少年は吃驚《びっくり》して眼を見張って自分の顔を見た。が、急に無言になって、ポックリちょっと頭《かしら》を下げて有難うという意を表したまま、竿を持って前の位置に帰った。その時あたかも自分の鉤に魚《うお》が中《あた》った。型の好いセイゴが上《あが》って来た。
少年は羨《うらや》ましそうに予《よ》の方を見た。
続いてまた二|尾《ひき》、同じようなのが鉤《はり》に来た。少年は焦《あせ》るような緊張した顔になって、羨《うらやま》しげに、また少しは自分の鉤に何も来ぬのを悲しむような心を蔽いきれずに自分の方を見た。
しばらく彼も我も無念《しん》になって竿先を見守ったが、魚の中《あた》りはちょっと途断《とだ》えた。
ふと少年の方を見ると、少年はまじまじと予の方を見ていた。何か言いたいような風であったが、談話の緒《ちょ》を得ないというのらしい、ただ温和な親しみ寄りたいというが如き微笑を幽《かすか》に湛《たた》えて予と相見た。と同時に予は少年の竿先に魚の来《きた》ったのを認めた。
ソレ、お前の竿に何か来たよ。
警告すると、少年は慌《あわ》てて向直ったが早いか敏捷に巧い機《しお》に竿を上げた。かなり重い魚であったが、引上げるとそれは大きな鮒であった。小さい畚《ふご》にそれを入れて、川柳の細い枝を折取って跳出《はねだ》さぬように押え蔽った少年は、その手を小草《おぐさ》でふきながら予の方を見て、
小父《おじ》さん、また餌をくれる?
と如何にも欲しそうに言った。
アア、あげる。
少年は竿を手にして予の傍《かたえ》へ来た。
好《い》い鮒だったネ。
よくっても鮒だから。せっかく此処《ここ》へ来たんだけれどもネエ。
と失望した口ぶりには、よくよく鮒を得たくない意《こころ》で胸が一《いっ》パイになっているのを現わしていた。
どうもお前の竿では、わんどの内側しか釣れないのだから。
と慰めてやった。わんどとは水の彎曲した半円形をいうのだ。が、かえってそれは少年に慰めにはならずに決定的に失望を与えたことになったのを気づいた途端に、予の竿先は強く動いた。自分はもう少年には構っていられなくなった。竿を手にして、一心に魚のシメ込《こみ》を候《うかが》った。魚は式《かた》の如くにやがて喰総《くいし》めた。こっちは合せた。むこうは抵抗した。竿は月の如くになった。綸《いと》は鉄線《はりがね》の如くになった。水面に小波《さざなみ》は立った。次いでまた水の綾《あや》が乱れた。しかし終《つい》に魚は狂い疲れた。その白い平《ひら》を見せる段になってとうとうこっちへ引寄せられた。その時
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