く、言語《げんぎょ》の端にもおのずから其意が漏れて、それから或人の夢や世間の噂も出たのであろう。その保胤の時から慈悲牛馬に及んだ寂心が、自己の証得|愈々《いよいよ》深きに至って、何で世人の衆苦充満せる此界《しかい》に喘《あえ》ぎ悩んでいるのを傍眼《よそめ》にのみ見過し得ようや。まして保胤であった頃にも、其明眼からは既に認め得て其文章に漏らしている如く、世間は漸《ようや》く苦しい世間になって、一面には文化の華の咲乱れ、奢侈《しゃし》の風の蒸暑くなってくる、他の一面には人民の生活は行詰まり、永祚《えいそ》の暴風、正暦《しょうりゃく》の疫病、諸国の盗賊の起る如き、優しい寂心の心からは如何に哀しむべき世間に見えたことであろう。寂心は世を哀み、世は寂心の如き人を懐かしんでいた。寂心娑婆帰来の談《はなし》の伝わった所以《ゆえん》でもあろう。勿論寂心は辟支仏《へきしぶつ》では無かったのである。
 寂心の弟子であったが、恵心に就いても学んだであろう寂照は、其故に恵心の弟子とも伝えられている。恵心は台宗問目二十七条を撰《せん》して、宋の南湖《なんこ》の知礼師《ちらいし》に就いて之を質《ただ》そうとした。
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