ら云えば、勿論のこと、神に献げる犠牲などは論ずるにも足らぬことで、其様《そん》なことを否認などしては国家の組織は解体するのであるから、巌窟《がんくつ》に孤独生活でも営んでいる者で無い限りは犠牲ということを疑ってはならぬのが、人間世界の実状である。扨《さて》それから少し後《あと》のことであった。今まで狩猟などをも悦《よろこ》んでいたことであるから定基のところへ生き雉子《きじ》を献じたものがあった。定基は、此の雉子生けながら作りて食わん、味やよき、心みん、と言い出した。奴僕《ぬぼく》の中《うち》の心のあらい者は、主人を神とも思っているから、然様《さよう》でござる、それは一段と味も勝り申そうと云い、少し物わかりのした者は、それは酷《むご》いとは思ったが、諫《いさ》め止《とど》めるまでにも至らなかった。やがてむしらせると、雉子はばたばたとするのを、取って抑えてむしりにむしった。鳥は堪らぬから、涙の目をしばたたきて、あたりの人々を見る。目を見合せては流石に哀れに堪兼ねて立退くものもあったが、鳴き居るは、などと却《かえ》って興じ笑いつつ猶もむしり立てる強者《つわもの》もあった。※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》りおおせたから、おろさせると、刀《とう》に従って血はつぶつぶと出で、堪えがたい断末間の声を出して死んで終った。炒《あぶ》り焼きして心見よ、と云うと、情無い下司男《げすおとこ》は、其言葉通りにして見て、これはことの外に結構でござる、生身《いきみ》の炒《あぶ》り焼きは、死したるのよりも遥かに勝りたり、などと云った。いずれは此世の豪傑共である。定基はつくづくと見て居たが、終《つい》に堪えかねて、声を立てて泣き出して、自分の豪傑性を否認して終《しま》って、三河守も何もあらばこそ、衣袍《いほう》取繕う遑《いとま》も無く、半天の落葉ただ風に飛ぶが如く国府を後《あと》にして都へ出てしまった。
勿論官職位階は皆辞して終った。疑い訝《いぶか》る者、引留める者も有ったには相違無い、一族|朋友《ほうゆう》に非難する者も有ったには相違無い。が、もう無茶苦茶無理やり、何でも構わずに非社会的の一個のただの生物《いきもの》になって仕舞った。犠牲を献《ささ》げるのを正しいこととし、犠牲を献げるのを怠るごときは、神に対する甚しい非礼とし、不道とし、大悪とする。犠牲を要求するのは神の権
前へ
次へ
全60ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング