務は清閑であり、何一ツ心に任せぬことも無く、好きな狩猟でもして、山野を馳駆《ちく》して快い汗をかくか、天潤いて雨静かな日は明窓|浄几《じょうき》香炉詩巻、吟詠《ぎんえい》翰墨《かんぼく》の遊びをして性情を頤養《いよう》するとかいう風に、心ゆくばかり自由安適な生活を楽んでいたことだったろう。ところが、それで何時迄も済めば其様《そん》な好いことは無いが、花に百日の紅無し、玉樹亦|凋傷《ちょうしょう》するは、人生のきまり相場で、造物|豈《あに》独り此人を憐まんやであった。イヤ去られた妻の呪詛《じゅそ》が利いたのかも知らぬ。いつからという事も無く力寿はわずらい出した。当時は医術が猶《なお》幼かったとは云え、それでも相応に手の尽しかたは有った。又十一面の、薬師の、何の修法《しゅほう》、彼《か》の修法と、祈祷《きとう》の術も数々有った。病は苦悩の多く強いものでは無かったが、美しい花の日に瓶中《へいちゅう》に萎《しお》れゆくが如く、清らな瓜の筺裏《きょうり》に護られながら漸《ようや》く玉の艶を失って行くように、次第次第衰え弱った。定基は焦躁《しょうそう》しだした。怒りを人に遷《うつ》すことが多くなった。愁を独りで味わっていることが多くなった。療治の法を求めるのに、やや狂的になった。或時はやや病が衰えて元気が回復したかのように、透徹《すきとお》るような瘻《やつ》れた顔に薄紅の色がさして、それは実に驚くほどの美しさが現われることも有ったが、それは却《かえ》って病気の進むのであった。病人は定基の愛に非常な感謝をして、定基の手から受ける薬の味の飲みにくいのをも、強いて嬉しげを装うて飲んだ。定基にはそれが分って実に苦かった。修法の霊水、本尊に供えたところの清水《せいすい》を頂かせると、それは甘美の清水であるので、病人は心から喜んで飲んで、そして定基を見て微かに笑う、其の此世に於て今はただ冷水を此様《かよう》に喜ぶかと思うと、定基は堪《たま》らなく悲しくて腹の中で泣けて仕方がなかった。病気は少しも治る方へは向かなかった。良い馬が確かな脚取りを以て進むように、次第次第に悪い方へのみ進んだ。其の到着点の死という底無しの谷が近くなったことは定基にも想いやられるようになったし、力寿にもそれが想い知られているようになったことが、此方の眼に判然と見ゆるようになった。しかし二人とも其の忌わしいことには、心
前へ
次へ
全60ページ中40ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング