も検討さるることであるが、評の当否よりも、評の仕方の如何にも韵致《いんち》があって、仙禽《せんきん》おのずから幽鳴を為せる趣があるのは、保胤其人を見るようで面白いと云いたい。
慾を捨て道に志すに至る人というものは、多くは人生の磋躓《さち》にあったり、失敗窮困に陥ったりして、そして一旦開悟して頭《こうべ》を回《めぐ》らして今まで歩を進めた路とは反対の路へ歩むものであるが、保胤には然様《そう》した機縁があって、それから転向したとは見えない。自然に和易の性、慈仁の心が普通人より長《た》けた人で、そして儒教の仁、仏道の慈ということを、素直に受入れて、人は然様あるべきだと信じ、然様ありたいと念じ、学問修証の漸《ようや》く進むに連れて、愈々《いよいよ》日に月に其傾向を募らせ、又其傾向の愈々募らんことを祈求《きぐ》して已《や》まぬのをば、是《これ》真実道、是無上道、是|清浄道《しょうじょうどう》、是安楽道と信じていたに疑無い。それで保胤は性来慈悲心の強い上に、自ら強いてさえも慈悲心に住していたいと策励していたことであろうか、こういうことが語り伝えられている。如何なる折であったか、保胤は或時往来繁き都の大路の辻に立った。大路の事であるから、貴《たか》き人も行き、賤《ひく》き者も行き、職人も行き、物売りも行き、老人も行けば婦人も行き、小児も行けば壮夫も行く、亢々然《こうこうぜん》と行くものもあれば、踉蹌《ろうそう》として行くものもある。何も大路であるから不思議なことは無い。たまたま又非常に重げな嵩高《かさだか》の荷を負うて喘《あえ》ぎ喘ぎ大車の軛《くびき》につながれて涎《よだれ》を垂れ脚を踏張《ふんば》って行く牛もあった。これもまた牛馬が用いられた世の事で何の不思議もないことであった。牛は力の限りを尽して歩いている。しかも牛使いは力《つと》むること猶《なお》足らずとして、これを笞《むち》うっている。笞の音は起って消え、消えて復《また》起る。これも世の常、何の不思議も無いことである。しかし保胤は仏教の所謂《いわゆる》六道の辻にも似た此辻の景色を見て居る間に、揚々たる人、※[#「足へん+禹」、第3水準1−92−38]々《くく》たる人、営々|汲々《きゅうきゅう》、戚々《せきせき》たる人、鳴呼《ああ》鳴呼、世法は亦復|是《かく》の如きのみと思ったでもあったろう後に、老牛が死力を尽して猶|笞
前へ
次へ
全60ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング