な》わない、一応は降参して、向後《きょうこう》然様《さよう》なところへはまいりませぬと謝罪して済んだが、そこには又あやしきは男女の縁で、焼木杭《やけぼっくい》は火の着くこと疾《はや》く、復《また》匡衡はそこへ通い出した。すると右衛門は、すっかり女の身許《みもと》から、匡衡がそこへ泊った時までを確実に調べ上げて置いて、丁度匡衡の其処に居た折、「我が宿のまつにしるしも無かりけり杉むらならば尋ねきなまし」という歌を使に持たせて、受取証明を取ってこいと責めたてた。待つに松をかけて、吾家《わがや》へ帰るべきを忘れたのを怨《うら》んだも好いが、相手の女が稲荷様の禰宜《ねぎ》の女というので、杉村ならば帰ったろうにと云ったのは、冷視と蔑視《べっし》とを兼ねて、狐にばかされているのが其様《そんな》に嬉しいかと云わぬばかりに、ぴしゃりと一本見事に見舞っている。人に歌を読みかけられて返歌をせぬのは七生《しちしょう》暗《やみ》に生れるなどという諺《ことわざ》のある日本の人、まして匡衡だって中古三十六歌仙の中に入っている男だから、是非無くも「人をまつ山路《やまぢ》わかれず見えしかば思ひまどふにふみすぎにけり」と返事して使をかえした。然程《さほど》に待っていてくれるとも分らず思いまどうて余の路に踏みまどうた、相済みませぬ、恐れ入りました、という謝まりの証文の一札の歌であって、※[#「匈/月」、936−中−8]中《きょうちゅう》も苦しかったろうが歌も苦しい。ふみすぎにけり、で杉を使ったなどは随分せつない、歌仙の歌でも何でも有りはしない、音律不たしかな切《せつ》な屁《へ》のような歌である。しかし是に懲らされて、狐は落されてしまったと見え、それからは、鳶肩《えんけん》長身、傲骨《ごうこつ》稜々《りょうりょう》たる匡衡朝臣も、おとなしくなって、好いお父さんになっていたという話である。此歌も余り拙《まず》いから、多分後の物語作者などが作ったのだろうと思われては迷惑であるから断って置くが、慥《たしか》に右衛門集に出ているのである。
 赤染右衛門は斯様《こう》いう女である。こういう女が身体の血の気も漲《みなぎ》っていれば、心の火の熱も熾《さか》んな若盛りで、しかも婚後の温い生活を楽んでいる際に当って、近親の定基の家には、卑しい身分の一艶婦のために冷雨悲風が起って、其若い妻が泣きの涙でいるということを知っては
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