お尋《たず》ねしてご誘引《ゆういん》する、ご同行あるならかの物二三枚をお忘れないように、呵々《かか》、というまでであった。
おもしろい。自分はまだ知らないことだ。が、教えられていたから、妻に対《むか》って、オイ、二三枚でよいが杉《すぎ》の赤身《あかみ》の屋根板は無いか、と尋ねた。そんなものはございません、と云《い》ったが、少し考えてから、老婢《ろうひ》を近処《きんじょ》の知合《しりあい》の大工《だいく》さんのところへ遣《や》って、巧《うま》く祈《いの》り出して来た。滝割《たきわり》の片木《へぎ》で、杉の佳《よ》い香《か》が佳い色に含《ふく》まれていた。なるほどなるほどと自分は感心して、小短冊《こたんじゃく》位の大きさにそれを断《き》って、そして有合せの味噌《みそ》をその杓子《しゃくし》の背で五|厘《りん》か七厘ほど、一|分《ぶ》とはならぬ厚さに均《なら》して塗《ぬ》りつけた。妻と婢とは黙《だま》って笑って見ていた。今度からは汝達《おまえたち》にしてもらう、おぼえておけ、と云いながら、自分は味噌の方を火に向けて片木《へぎ》を火鉢《ひばち》の上に翳《かざ》した。なるほどなるほど、味噌は巧《うま》く板に馴染《なじ》んでいるから剥落《はくらく》もせず、よい工合に少し焦《こ》げて、人の※[#「飮のへん+纔のつくり」、398−6]意《さんい》を催《もよお》させる香気《こうき》を発する。同じようなのが二枚出来たところで、味噌の方を腹合せにしてちょっと紙に包《くる》んで、それでもう事は了《りょう》した。
その翌日になった。照りはせぬけれども穏《おだ》やかな花ぐもりの好い暖い日であった。三先輩は打揃《うちそろ》って茅屋《ぼうおく》を訪《と》うてくれた。いずれも自分の親としてよい年輩の人々で、その中《うち》の一人は手製の東坡巾《とうばきん》といったようなものを冠《かぶ》って、鼠紬《ねずみつむぎ》の道行振《みちゆきぶり》を被《き》ているという打扮《いでたち》だから、誰《だれ》が見ても漢詩の一つも作る人である。他の二人も老人らしく似《に》つこらしい打扮だが、一人の濃《こ》い褐色《かっしょく》の土耳古帽子《トルコぼうし》に黒い絹《きぬ》の総糸《ふさいと》が長く垂《た》れているのはちょっと人目を側立《そばだ》たせたし、また他の一人の鍔無《つばな》しの平たい毛織帽子に、鼠甲斐絹《ねずみかいき
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