だし》のまゝに我家へ一散走り、
「母さん、判りました、判りました。漸く虹蓋の秘法が判りました。鉄漿《おはぐろ》です、あ、あの苦い鉄漿だつたのです」
と、雪まぶれ泥まぶれの体を畳に擦りつけて、語気も乱れて埒なく云へば、母親は呆れて我子の顔を仰ぐの他なかつた。
元来金属の細工には色を出すのに必ず鉄漿を用ゐるもので、釜の仕上師ならば何処の家にでもそれ/″\貯蓄があつて、殊に古いものを珍重するため、弟子は独立するときその師匠から幾許《いくら》か頒つて貰ひ、それをまた己が弟子に頒ち伝へるのが例で、中には百年余りの鉄漿を有つてゐる者さへある程で、もとより釜貞の家にも家伝の鉄漿がないではなかつたが、たゞそのありふれた鉄漿などが虹蓋の色だしに用ゐるものだとは、不幸年少の長次には考へ及ばなかつたのである。
が、さて長次は、一度太七の家で嗅いだ鉄漿の臭にヒントを得て忽ちに利発の性は虹蓋の秘法を自知し、それからと云ふもの一心不乱、鍛へに鍛へた苦心の虹蓋は今迄の同職より一層鮮かな色を湛へたので、奪はれた顧客も難なく旧に復したのみか、家運頓に挙り、日に隆昌を追ふて、後には父親を迎へて目出度く家庭の和楽を悦び
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