名工出世譚
幸田露伴
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)丁髷《ちよんまげ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)正直一|途《づ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)紅※[#二の字点、1−2−22]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)あか/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一
時は明治四年、処は日本の中央、出船入船賑やかな大阪は高津のほとりに、釜貞と云へば土地で唯一軒の鉄瓶の仕上師として知られた家であつた。主人は京都の浄雪の門から出た昔気質の職人肌、頑固の看板と人から笑はれてゐた丁髷《ちよんまげ》を切りもやらぬ心掛が自然その技《わざ》の上にあらはれて、豪放無類の作りが名を得て、関東関西の取引の元締たる久宝寺町の井筒屋、浪花橋の釘吉《くぎよし》、松喜《まつき》、金弥などと云ふ名高い問屋筋の信用も厚く、註文引きも切らずと云つた状態であつた。九夏三伏の暑熱にも怯《め》げず土佐炭|紅※[#二の字点、1−2−22]《あか/\》と起して、今年十六の伜の長次と職人一人を相手として他念なく働いたお庇《かげ》で、生計も先づ裕《ゆた》かに折※[#二の字点、1−2−22]は魚屋の御用聞きなどを呼入れて、世話女房の酌で一杯やるといつた無事な日常《くらし》、世人も羨む位であつた。
が、儘ならぬは浮世の常、この忠実な鉄瓶職人の家庭に思はぬ運命の暗影が射し始めた。それは、京都に名高い龍文堂といふ鉄瓶屋が時勢の変遷、世人の嗜好に敏なるところから在来の無地荒作りの鉄瓶に工夫を凝らして、華奢な仕上、唐草模様や、奇怪な岩組などといつた、型さま/″\の新品を製鋳して評判をとつたのが抑※[#二の字点、1−2−22]の初め、追ひ/\同職の誰彼もがそれを真似して益※[#二の字点、1−2−22]珍奇を競ひ立つたので、正直一|途《づ》、唯手堅い一方の釜貞は、時流に悠然として己が職分を守つてゐたが、水清ければ魚棲まず、孤高を衒《てら》ふ釜貞への註文は日に尠くなつてゆく所へ持つて来て、同じ土地の新八、太七と云ふ職人が考案した七彩浮ぶかと想はるゝやうな新鋳品が「虹蓋《にじぶた》」と名づけられて世間の評判を博するに至つたので、今迄釜貞の上顧客《じやうとくい》であつた数軒の問屋筋も商売大事さから一人減り二人減りして、何時しか釜貞の土間には炭火もとかく湿り勝ちで、結局仕事が無ければ貯蓄《たくはへ》のない職人のこととて米櫃の中も空であるのが多いやうな仕儀となつた。
居喰《ゐぐひ》売喰《うりぐひ》の心細い生活がやがて窮迫を告げるに至つた。釜貞は無念の歯噛みと共に今は已むなく、我から問屋に足を運んで、せめて一つの仕事にでもといふのであつたが、彼の虹蓋さへ作つて呉れるなら二十が三十の仕事でも頼むとの口上に、頑固一徹の彼は火の如き憤怒と共に座を蹴つて帰宅した。
二
斯うして何の才覚もなくして我家へ帰る途中、釜貞の心中には時世へ対する呪詛に満ちてゐた。が、明日の糧《かて》にも気心を配る女房の顔を見れば、釜貞も人間、只暗澹として首を俯する他はなかつた。
ふと土間を見ると、鎚を持つて何やら打つてゐた伜の長次が、親の憂を身に引取つたやうな眼付で、
「父さん、矢張り虹蓋の註文で腹をお立てになつて帰つたんですか!」
と尋ねるではないか。
「ウム、その通りだ。だが長次、お前も十七、虹蓋つくる奴等が手筋も大方知つてゐようが、世の中は千人寄つても盲ばかりの素人たち、見かけ倒しの品物でも異《ちが》つたものを嬉しがる馬鹿さ加減つたらねえ!」
すると長次は、親の心子知らず、只目下の窮状を見るにつけて、父親の徒らなる憤慨に異見を挟みたくなつた。
「でも父さん、何も商売、お客様の喜ぶのが虹蓋なら、長年の経験で父さんにもその製法は判つてゐやうに、ひとつお気を入れ替へてそれを作つて問屋を奪《と》り返しては如何です。今日も御留守に米屋の親父《おやぢ》が来て蓄《たま》つた米代の催促をするやら、それに炭屋や質屋の……」
云はせも果てず父親は、
「馬鹿! 手前《てめへ》までがそんな腐つた了簡で、歿《な》くなられた浄雪師匠に済まぬとは思はぬか。軽薄な細工物は云はば廃《すた》り易い流行物《はやりもの》、一流の操《みさを》を立てゝ己《おのれ》の分を守るのが名人気質だと云ふのが分らぬか、この不了簡者。米屋がどうの、炭屋がどうの――仮令《たとへ》餓ゑ死しようと、今更虹蓋つくるやうな卑劣《けち》な了簡を持つてたまるものか!」
と大喝するのを、蔭で女房は夫の日頃の気性を知つてゐるだけに只黙※[#二の字点、1−2−
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