おしえ》を請うた頃は、公は京の東福寺《とうふくじ》の門前の乾亭院《かんていいん》という藪の中の朽ちかけた坊に物寂《ものさ》びた朝夕を送っていて、毎朝※[#二の字点、1−2−22]|輪袈裟《わげさ》を掛け、印を結び、行法怠らず、朝廷長久、天下太平、家門隆昌を祈って、それから食事の後には、ただもう机に※[#「馮/几」、第4水準2−3−20]《よ》って源氏を読んでいたというが、如何にも寂びた、細※[#二の字点、1−2−22]とした、すっきりとした、塵雑《じんざつ》の気のない、平らな、落《おち》ついた、空室に日の光が白く射したような生活のさまが思われて、飯綱も成就したろうが、自己も成就した人と見える。天文から文禄の間の世に生きていて、しかも延喜の世に住んでいたところは、実に面白い。
或時長頭丸即ち貞徳《ていとく》が公を訪《と》うた時、公は閑栖《かんせい》の韵事《いんじ》であるが、和《やわ》らかな日のさす庭に出て、唐松《からまつ》の実生《みばえ》を釣瓶《つるべ》に手ずから植えていた。五葉《ごよう》の松でもあればこそ、落葉松《からまつ》の実生など、余り佳いものでもないが、それを釣瓶なんどに植えて、しかもその小さな実生のどうなるのを何時《いつ》賞美しようというのであろう。しかしここが面白いのである、出来た人でなければ出来ない真の楽みを取っているところである。貞徳は公より遥《はるか》に年下である。我身の若さ、公の清らに老い痩枯《やせが》れたるさまの頼りなさ、それに実生の松の緑りもかすけき小ささ、わびきったる釣瓶なんどを用いていらるるはかなさ、それを思い、これを感じて、貞徳はおのずから優しい心を動かしたろう、どうぞこの松のせめて一、二尺になるまでも芽出度《めでたく》おわしませ、と「植ゑておく今日から松のみどりをも猶《なお》ながらへて君ぞ見るべき」と祝いて申上げると、「日のもとに住みわびつゝも有《あ》りふれば今日から松を植ゑてこそ見れ」と、ただ物をいうように公は答えた。
その器《き》その徳その才があるのでなければどうすることも出来ない乱世に生れ合せた人の、八十ごろの齢《とし》で唐松の実生を植えているところ、日のもとの歌には堕涙《だるい》の音が聞える。飯綱修法成就の人もまた好いではないか。
[#地から1字上げ](昭和三年四月)
底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年11月16日第1刷発行
1994(平成6)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「露伴全集 第十五巻」岩波書店
1952(昭和27)年5月刊
入力:土屋隆
校正:オーシャンズ3
2007年11月26日作成
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