落《じゅらく》の安芸《あき》の毛利《もうり》殿の亭《ちん》にて連歌の折、庭の紅梅につけて、梅の花|神代《かみよ》もきかぬ色香かな、と紹巴法橋がいたされたのを人※[#二の字点、1−2−22]褒め申す」と答えたのにつけて、神代もきかぬとの業平《なりひら》の歌は、竜田川《たつたがわ》に水の紅《くれない》にくくることは奇特不思議の多い神代にも聞かずと精を入れたのであるのに、珍らしからぬ梅を取出して神代も聞かぬというべきいわれはない。昔伊勢の国で冬咲の桜を見て夢庵《むあん》が、冬咲くは神代も聞かぬ桜かな、と作ったのは、伊勢であったればこそで、かように本歌を取るが本意である、毛利|大膳《だいぜん》が神主《かんぬし》ではあるまいし、と笑ったということである。紹巴もこの人には敵《かな》わない。光秀は紹巴に「天《あめ》が下しる五月《さつき》哉《かな》」の「し」の字は「な」の字|歟《か》といわれたが、紹巴はまたこの公には敵わない。毛利が神主にもあらばこその一句は恐ろしい。
 紹巴は時※[#二の字点、1−2−22]この公を訪《と》うた。或時参って、紹巴が「近頃何を御覧なされまする」と問うた。すると、公は他に
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