みょうが》に叶って今かく貴《とうと》い身にはなったが、氏も素性もないものである、草刈りが成上ったものであるから、古《いにしえ》の鎌子《かまこ》の大臣《おとど》の御名《おんな》を縁《よすが》にして藤原氏になりたいものだ。というのは関白になろうの下ごころだった。すると秀吉のその時の素ばらしい威勢だったから、宜しゅうござろう、いと易《やす》い事だというので、近衛竜山公《このえりゅうざんこう》がその取計《とりはから》いをしようとした。その時にこの植通公が、「いや、いや、五|摂家《せっけ》に甲乙はないようなれど、氏の長者はわが家である、近衛殿の御儘《おんまま》にはなるべきでない」と咎《とが》めた。異論のあるのに無理を通すようなことは秀吉は敢《あえ》てせぬところである。しかも当時の博識で、人の尊む植通の言であったから、秀吉は徳善院玄以《とくぜんいんげんい》に命じて、九条近衛両家の議を大徳寺に聞かせた。両家は各※[#二の字点、1−2−22]固くその議を執ったが、植通の言の方が根拠があって強かった。そうするとさすがに秀吉だ、「さようにむずかしい藤原氏の蔓《つる》となり葉となろうよりも、ただ新しく今まで
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