天を祭るとせられたが、山では勝軍地蔵《しょうぐんじぞう》を本宮とするとしていた。勝軍地蔵は日本製の地蔵で、身に甲冑を着け、軍馬に跨《またが》って、そして錫杖《しゃくじょう》と宝珠《ほうじゅ》とを持ち、後光輪《ごこうりん》を戴いているものである。如何にも日本武士的、鎌倉もしくは足利期的の仏であるが、地蔵十輪経《じぞうじゅうりんきょう》に、この菩薩はあるいは阿索洛《アシュラ》身を現わすとあるから、甲《かぶと》を被《こうむ》り馬に乗って、甘くない顔をしていられても不思議はないのである。山城《やましろ》の愛宕《あたご》権現も勝軍地蔵を奉じたところで、それにつづいて太郎坊大天狗などという恐ろしい者で名高い。勝軍地蔵はいつでも武運を守り、福徳を授けて下さるという信仰の対的《たいてき》である。明智光秀も信長を殺す前には愛宕へ詣《まい》って、そして「時は今|天《あめ》が下知る五月《さつき》かな」というを発句に連歌を奉っている位だ。飯綱山も愛宕山に負けはしない。武田信玄は飯綱山に祈願をさせている。上杉謙信がそれを見て嘲笑《あざわら》って、信玄、弓箭《ゆみや》では意をば得ぬより権現の力を藉《か》ろうとや、
前へ 次へ
全43ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング