》したがっている者なのであるが、他の大鬼神に敵《かな》わないので、六ヶ月前に人の死を知り、先取権を確立するものであり、なかなか御稲荷様のような福※[#二の字点、1−2−22]《ふくふく》しいものではないのである。※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]祇尼はまた阿修羅波子《アシュラバス》とも呼ばれて、その義は「飲血者」である。狐つかいの狐は人に禍《わざわい》や死を与える者とされている。して見れば※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]祇尼の狐で、お稲荷様の狐ではないはずである。大江匡房《おおえのまさふさ》が記している狐の大饗《だいきょう》の事は堀河天皇の康和三年である。牛骨などを饗《きょう》するのであったから、その頃から※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]祇尼の狐ということが人の思想にあったのではないかと思われるが、これは真の想像である。明らかに狐を使った者は、応永二十七年九月足利将軍|義持《よしもち》の医師の高天《こうてん》という者父子三人、将軍に狐を付けたこと露顕して、同十月|讃岐国《さぬきのくに》に流されたのが、年代記にまで出ている。やはり※[#「咤−宀」、第3水準1−
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