丸の生れがはりであるとあつたといふことが扶桑略記《ふさうりやくき》に見えてゐるが、これなぞは随分|変挺《へんてこ》な御託宣だ。宇佐八幡の御託宣は名高いが、あれは別として、一体神がゝり御託宣の事は日本に古伝のあることであつて、当時の人は多く信じてゐたのである。此の八幡託宣は一場の喜劇の如くで、其の脚色者も想像すれば想像されることではあるが、或は又別に作者があつたのでは無く、偶然に起つたことかも知れない。古より東国には未だ曾《かつ》て無い大動揺が火の如くに起つて、瞬《またゝ》く間に無位無官の相馬小次郎が下総常陸上野下野を席捲《せきけん》したのだから、感じ易い人の心が激動して、発狂状態になり、斯様《かやう》なことを口走つたかとも思はれる。然《しか》らずば、一時の賞賜《しやうし》を得ようとして、斯様なことを妄言《まうげん》するに至つたのかも知れない。
 田原藤太が将門を訪ふた談《はなし》は、此の前後の事であらう。秀郷《ひでさと》は下野掾《しもつけのじよう》で、六位に過ぎぬ。左大臣|魚名《うをな》の後で、地方に蟠踞《ばんきよ》して威望を有して居たらうが、これもたゞの人ではない。何事の罪を犯したか
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