相馬から出たに本づく戯曲家の作意ではあらうが、妻妾《さいせう》共に存したことは言ふまでも無い。で、将門が源家の女を蔑視《べつし》して顧みず、他より妻を迎へたとすると、面目を重んずる此時代の事として、国香も護の子等も、殊に源家の者は黙つて居られないことになる。そこで談判論争の末は双方後へ退らぬことになり、武士の意気地上、護の子の扶、隆、繁の三人は将門を敵に取つて闘ふに至つたらうと想像しても非常な無理はあるまい。
 闘《たたかひ》は何にせよ将門が京より帰つて後数年にして発したので、其の場所は下総の結城郡と常陸の真壁郡の接壌地方であり、時は承平五年の二月である。どちらから戦《いくさ》をしかけたのだか明記はないが、源の扶、隆等が住地で起つたのでも無く、将門の田園所在地から起つたのでも無い。将門の方から攻掛けたやうに、歴史が書いてゐるのは確実で無い。将門と源氏等と、どちらが其の本領まで戦場から近いかと云へば、将門の方が近いくらゐである。相馬から出たなら遠いが、本郷や鎌庭からなら近いところから考へると、将門が結城あたりへ行かうとして出た途中を要撃したものらしい。左も無くては釣合が取れない。若し将門
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